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Saturday, February 28, 2026
......Kyoto
Saturday, January 31, 2026
......Tengachaya,Osaka
だけど三十歳あたりから、その眼のピリピリが減ってきました。たぶん、仕事や周りの人間関係いろいろ自分の感情を制御して、おもしろいと思うことがあっても、「今それどころでないよ」とブレーキを踏む。それを繰り返しているうちに感覚は鈍ってきました。あたり前だと思っていた感覚がなくなりかけて、はじめて大事な感覚だったことに気付きます。そこはブレーキを踏まず、嫌なことは我慢せず、やりたいことをやっていないと眼が痺れるかんじは消えてしまうということがわかりました。
といっても、やりたいことばかりやって暮らしていけるわけではなく、今だって、それなりに我慢しながら生活している筈です。が歳をとるにつれ、いろんな感動に免疫みたいなものができて、一寸やそっとではいいと思わなくなります。そのへんを踏まえつつ、昔のように眼の裏側がピリピリする感覚をとり戻せないものかと、ずーっと試行錯誤を重ねているうちに、ここ数年一寸づつ復活してきた気がします。
土曜。昼過ぎ天下茶屋の写真ギャラリー二等車で脇田耕二氏の個展。昨年の夏に二等車で見た以来です。何年か観続けている写真家で、今回の展示『されどだけど2』軽くてよかったです。バリエーションが安定しないような、色々な同じイメージにならないような、写真の流れが個々違うように、反応が同じようにならないように、それをギャラリーの空間に15点、似たようで違うストリートスナップが並んでいました。今回ピントが合ってない写真が大分いいと感じました。
一貫してストリートスナップをモノクロームで撮り続けている写真家です。作家自身のクセとか特定のルールがそこに出てきて、そのルールがなんとなくわかってくるのですが…ギャラリーの壁上にセレクトした断片(作品)をどう並べたのか、その解いた答えは一つとは限らないので、順番と距離、光の角度で印象は変化します。「私が撮りました」っていう人とは違い、「カメラが撮っているんですよ」っていう、そこも写真家のリアリティーだと思います。
写真もアートも特定の誰々を継続して観ていると面白いです。月日を経ることで見えてくるものがあります。そして自分自身(鑑賞者)の興味も一寸づつ変わっていることに気付きます。
Sunday, January 4, 2026
......From my room,Osaka
年末年始は大阪でのんびり過ごしました。大晦日は紅白、ぐるナイ年越しおもしろ荘、、、テレビを見るのは春夏の高校野球の季節と正月くらいになりました。たまにテレビを見ると、若い出演者や芸人、コマーシャルに出ている人がわからない。生きている人か死んでる人か、わからなくなってきています。
年明けはスポーツ中継、座王 新春SP、あとは家の人お勧めの韓国(ホラーとか)映画をアマゾンプライムで。絵と音楽は好き嫌いはっきりしているけど、映画の好みは定まっていません。気がつくとこの何年映画館は数えられるくらいしか行ってなくて、台湾や中国の映画から何人か「いいな」と思った監督がいるけど、惚れ込むところまではいっていません。映画を見ていると、いい気分転換になります。スポーツもそう。
その後あいかわらず写真ばかり貼っています。意識が散漫なとき、撮影したフィルムと私家版の頁をやぶります。何かを切り取るとかでもなく、ただ重ねてみます。写真を貼る、線を画く、音楽を聴く、自分の中でどこか重なっていて、惰性といえば惰性ですが、惰性を身につけてよかったと思えます。どれだけとっ散らかっても、いつか自分の中でつながるから。やる気が出ない、それでも続いていくこと。今年も楽しみです。
Tuesday, December 30, 2025
2025
今年もあと少し。仕事、終わったんだか終わってないんだか、すでにのんびりしています。大掃除はせず、フィルムをスキャンしたり写真集をコラージュしています。ここ数日、近所のスーパー、薬局はだいぶ混んでいました。
この年末は天下茶屋の二等車で河合止揚氏の個展『中国雲南省昆明留学日記』を観たり、海外旅に出たくても出てないから、鶴橋コリアタウンのオヂェパメンで釜山名物デジクッパ、蒸し豚を食べたり、久々に心斎橋筋の功夫ラーメンで台湾牛肉麺、ルーロー飯を食べたりしてました。あとは西成で撮影(散歩)とリフティング。この夏は風通りのいい道を歩き、冬は日当たりのいい道を歩きます。夏の夜の公園は蒸し暑かったけど、冬だと寒く、寒風の向かい風のボールタッチはつらいのです。すぐ家に引き返したくなります。それでも足を動かしていると段々体が温まってきて、もっと蹴りたくなるから、気分もよくなります。
「自分はこれから何をしたいんだろう」と考えながら、取捨選択をして、時間がかかります。それをしないと、先に進めない気になりますが、何を撮る(つくる)かで、悩むひまがあったら、とりあえず、何かを撮って(つくって)それから悩んだほうがいい。……という言葉がまた浮かびます。
わたしの写真は達成感が全然なくて、今日いいと思ってみても次の日にはよくなかったりとか。なので撮ったことを忘れてしまうくらい寝かせて、時間が経ってあらためて見る方がちょうどいいみたいです。そうして自分が言ってたことと写真の内容がズレてきたら面白くなるぞ、とひらめきました。ズレることによって、そこに新しい何かが立ち現れ、つぎの写真が生まれるから。これからもズラしていく、あり方を採りたいです。今、日本酒で一寸ほろ酔いです。
思い返せば、この一年は一度も病院にお世話にならない体調良好な年でした。今さらながら、健康だと酒と珈琲がうまい、このペースで行きたいです。2025年いろいろありがとうございました。よいお年を。
Thursday, December 4, 2025
……Tokyo #2
Wednesday, December 3, 2025
......Tokyo #1
まず最初、ひさかたぶり恵比寿の東京都写真美術館へ『作家の現在 これまでとこれから』。展示場は石内都、志賀理江子、金村修、藤岡亜弥、川田喜久治、と五人の展示に区切られ、約100点もの作品群で埋め尽くされていました。一点ずつじっくりと時間をかけて、とはいかなかったけど、できるだけ集中して会場を歩きました。極力先入観や偏見に足を取られないように、ニュートラルな目線の先、こちらにひっかかってくるものは、、、なんて、はじめは考えながら、やっぱり特定の作家の展示の前で足が止まります。
藤岡亜弥氏の展示、近年大阪のニコンサロンや奈良の写真美術館で観たとき同様、人物、静物、光景、対象を具象的に写したものがびっしり並び、ハッとさせられるカットもあり撮り方がすごく上手いと思います。それは、特徴の一つですが、本当の魅力は、日常の中に潜む謎、普通の人の不思議さ…バラけていた点と点がつながっていくコラージュみたいな面白さがあります。また作品鑑賞が進むにつれ至近距離にブラ下がる、先日亡くなられた、地元(広島)の路上の伝説にして「存在自体がアート」だった広島太郎さんの数点のポートレート(ばかり)に、どうしても焦点があってしまう、もどかしい感覚も抱きました。
金村修氏の作品、二十八年前、初めて四谷三丁目の写真専門ギャラリー Mole(モール) に訪れた折、一階(写真集販売店)レジ後ろの壁に貼ってあった一点のランドスケープのプリント作品を観たときから、一瞬で何か来るものを感じ、「同じものが自分の中にもある」って感じで、全くおこがましいのですが、得意の思い込みを発動させ、その後もずっと影響を受けています。私にとって教科書みたいな存在。今、目の前に並ぶ多くの作品(プリント、映像、コラージュ、ドローイング)は、あの時からずっとつながって、それらが明らかに違和感を覚えることなくじっくり突きつけられた、そんな思いになりました。
(つづく……)
Wednesday, November 19, 2025
......Hiroshima
今年も十一月十七日、十八日は広島。母(尾道生まれ、広島育ち)命日の墓参り。今回の帰省も梅田から高速バスで広島駅着、駅の花屋さんで赤と黄の花を買ったら、広電(チンチン電車)に乗っかって比治山下で下車。
ゆっくり放射線研究所付近まで登って墓地到着。広い敷地の隅っこに在るお墓の左右の花立には、既に真っ白なトルコキキョウが盛り盛り飾ってありました。そこに赤と黄も加えて合掌。
毎回お墓を後に丘を降りながら感じる清々しさ、わたしにとって先祖の供養もさる事ながら、基本どの宗教にも帰依してない日常の暮らしで、今の自分自身を見つめ直すことにもなる、他にない不思議な時間です。あとこの比治山という小高い丘を歩くことが何よりも心地よいのです。
翌朝は広島駅で「むすびのむさし」のお弁当を買って、安芸路ライナーで広駅まで行き、在来線で吉名駅へ。この日は途中、安浦から風早の車窓からの海が特にきれいでした。今夏、田舎の小舎の敷地であれだけ繁茂した草木は、先日シルバー人材センターの方が来てくれて、すっかりスッキリしてました。
Sunday, November 16, 2025
......Tokyo
Sunday, November 9, 2025
......Nihonbashi,Tokyo
忘れかけの記憶というか、消えていく夢というか、たとえば被写体をうまく写すことも重要ですが、わたしはずっとそこに在るかのような空気に、反応することの方が大事です。
二眼レフの正方形ファインダーを覗きながら、近くで見ているのに遠い印象、鮮明だけどおぼろげな光景、そういったものを写し撮ることができるなら、それは原型をとどめない程にシャッターを切る多重露光ではないかと繰り返しました。
考えてみると、対象となる傷や錆や罅、黴、擦れ、汚れ、剥げ、染み、凹み、不気味な痕跡、不思議な実在感、ボロい色の隙間と奥行きの空間、虚ろに見えるのも、ある感情が湧きおこり枯れていった、余韻なのかもしれません。
撮影した色々な年代の色々なメーカーのフィルムを、現像のプロセスでモノクロもカラーもネガもポジも全てをいかに混ぜるか、バリエーションが安定しないように、同じ結果にならないように、失敗も含め曖昧なイメージを写真にしたいと単純に思います。
また写真はイメージであって物質でもあります。乾燥したフィルム同士を詰め込んで、漂白し擦って剥がし溶け出し混じり合って浮かび上がる現象は、前後、左右、上下、表もあって裏もあります。それが写真の面白さでデジタルデータに変換しました。
そこには写真をデータ化する過程で、変化する瞬間、変化しつつ凝固したと考えるしかないと、同時にそれは自意識の変化も生じるべきものです。そう簡単に自意識や無意識はコントロールできませんが、そういった意識の変化の上で、また一枚の写真に向きあう時、確かにリアルに在ったあの空気が、何か、幻を見せられているようで、そわそわします。
森川健人
11日(火)から東京・日本橋茅場町のレクトヴァーソギャラリーにて。お近くにお越しの際は是非ご高覧ください。
【展示内容/インクジェットプリント、カラー】
Tuesday, November 4, 2025
......Osaka
月曜、文化の日。フィルムを干してご飯を食べて洗濯して、昼過ぎ自転車で南津守中央公園へ。日課(?)のリフティング開始……毎度イメージだけはバッチリで、再現性は…。当たり前ですが、ボールを足で扱うというのは普段の生活ではありえない動作です。考え始めるといいことはありません。
ボールコントロールが大きくなったり、思ったところにコントロールできなくて、あっち行ったりこっち行ったり、心地よい汗が気持ちいいです。そんなひとりサッカーで、オッと思うことがあります。
リフティング音「これはいい音」としみじみ。芯を捉えた、音。アスファルトを踏む、音。足下の石を踏んづける、音。足の甲に当る、音。つま先でつつく、音。ザラついた質感、音。 両足リフティング百回、なにがなんでも……というほどの目標でもないけど、達成できた日は気持ちよく、だんだん体が軽くなって来たところで終了。
続いて、近所の名村造船所跡地到着。何年かぶりに「キタカガヤフリー&アジアブックマーケット」へ。目の前のセブンイレブンに停めて、入口はいった瞬間、いきなり正面前方斜め上でふわふわ踊る全身銀色のシルバーさん(?)発見。気になってズーと斜め下から眺めていたら、お腹いっぱい胸いっぱい「今日はもういいや」と気が変わり帰りました。
夜、レコードを聴きながら、相変わらず私家版を破って貼り、線ばかり画いてます。何かを作るとかでもなくて、ただ「それ」をやってみています。写真を貼る、写真に画く、音楽を聴く、自分の中でどこか重なっています。
気分が乗らない時でも意識が散漫な時でも、サッカーボールを蹴っているうちに体が軽くなってきて「もうすこしいけるかも」と思えてくる、この感覚を仕事にも活かせないかと考えます。
Wednesday, October 29, 2025
......Osaka
火曜、昼休憩に住吉大社駅下の惣菜屋さんで日替わり弁当買って住吉公園到着。池のほとりにそって置かれた木製ベンチで昼食。涼しい。
夜、レコードをかけて、次の写真に取り掛かる前の準備運動みたいなコラージュ(足したり引いたり)開始……こないだ日本橋の中古レコ屋で100円が相場のチープなミドルスクールの12インチ1枚…だんだん胸の奥の方がモヤモヤしてきます…次ドローイング(落書き)……96年産一般的には"微妙スクール"とされてた年代のLP 800円と謎の音圧の高いEP 300円…ひさしぶりに買ったラップとファンクをかけて貼っても画いてもなんか気持ちがよくありません。
わたしには同じレコードや本を数百回くらい聴いても読んでも(捲っても)飽きない体質がありますが、反面、新しものにフィットするまで一寸時間がかかることも。はじめはピンと来なくても、ハズしたと判断したくなくて、そんな時は何百回か繰り返して無理矢理好きになります。
日頃の散歩、撮影(旅)にしても偶に知らない場所を歩くことはあっても、だいたい行き先は何パターンかでいつの間にか同じ道を歩いています。何度も同じ場所を撮っているのに、変わって見えることってあるんです。同じことをくり返す、一見、退屈に思えることの中にも何らかの面白味があるはずです。いつの間にかそんな風になってました。
Wednesday, October 22, 2025
......Osaka
火曜、昼過ぎ梅田到着。阪神百貨店で「熱視線」というイベントの最終日へ。会場では作家の熱い表現に押されるように作品が並んでいました。とにかくまずはジーと眺めて反応するか、パラパラ捲るしかありません。
とくにZINEに目が行きますが、ZINEは読むためだけじゃなくて、触ったり眺めたり作家が自分の表現を紙に閉じ込めています。 いろいろ眺めて、捲っているうちに(わたしのなかで)イメージが広がるものとそうでないものとがありました。
たかつか 著『じじいのキャップ』、ジーと表紙のドローイングを見ているとグッとくるものがあります。頁を捲る感触、チープな製本と余白、ラフさ加減がカルチャーの匂いです。本文は薄いようで濃ゆい、浅いようで深い「じじいのキャップ」のガイド的な1冊。
HAZUKI SHIMMURA 著 『壁2024』、壁シリーズの2024年ヴァージョン。このZINEに写っているのは対象です。ディテイルが立ち上がっているもの、細部が写っているもの、単なる記録写真ではなく、そこには記録という意義に制作意図が込められています。目の前の対象しか写さないという作者の信念がこの本を美しくしているのだと思います。
長本淳 著『猫城市』(九份・猴硐編) 、ホウ・シャオシェンの名作のロケ地周辺「以後の風景」に立ち会う感じになったり、完全に分離したりと様々な視点があり、被写体とカメラの距離感に最後まで惹きつけられます。
長本淳 著『猫街』(西成編)、ここでも被写体に引っ張られる、心地よさにいつまでも浸っていたい空気が定着しています。人が写ってない写真(集)なのに、とても人間を感じる写真集出版レーベル「moment」刊行の2冊。
帰り道の途中、いつものドトールの窓際席でひとり会議。今日の4冊を眺めながら、結局買おうと思う本はパッと見ただけではわからないものを一回知りたいというのと、やっぱり、「自分のなかに取り込みたい」と一寸でも思うもの、そんな感じなのかなと結論になりました。はい。
Sunday, October 5, 2025
......Nishinari,Osaka
来月のグループ展の準備をしています。膨大なブローニーフィルムの6×6判フォーマットのデータを前後左右上下裏表クルクル、反転、回転させながら自由な角度から見まわし試行錯誤しております。
わたしにとって効率が悪いというのは、制作に於いていいことだと思っています。色やトーンを出すにもモニターより紙が難しくて、紙で見るだけで不思議と一歩踏み出した気持ちになります。
今回展示する作品は、普通に暮らしている流れで、今日が来て明日が来てという流れ以外に、頭の中の流れというのがあって、「そういえば十年前あぁいうことがあったなぁ、」とか。「あと十年くらいしたら自分も変われるかなぁ、」とか。「でも、なんか色々あるなぁ、」とそういう感じの写真です。
自分がやってる写真はどこまでも誰かに理解されるとは思っていないから、でもだからこそどこかの誰かに届けばいいなと思ったりします。
Saturday, September 20, 2025
......Nishinari-ku,Osaka
Wednesday, September 3, 2025
...Tamade park ,Osaka
残暑。夕方、あれだけ賑やかだったセミの声はしなくなり、代わってサボりまくった公園のひとりサッカーをしれっと再開。気温はまだまだ真夏ですが、確実に季節は変わり行きます。
空気のぬけた蹴り甲斐のないサッカーボールでリフティングしている最中、汗が目に入って記憶が浮かんだり、誰かがあの場所は面白いと教えてくれた所へ行ってみたり、偶然の出会いはあっても自分から調べることは殆どなくなりました。
今も写真はずっと試行錯誤して、最近は写真にとっての現実性とは撮影現場で記録することだけでなく、本来は記録したイメージより具体的なフィルムの物質性を強調することで、かえって抽象度が高まっていくことに興味を持っています。硬く言うと。
これは写真だけに限ったことではありませんが、抽象と具象が逆転する感覚やバランス、そんなものの見方、考え方が好きです。イメージを抽象化する要因になる曖昧な記憶、反復する記録性、成りゆき任せの物質的現象、そういった状況をこれからも積極的に受け入れて行きたいです。
Saturday, August 23, 2025
......Takehara, Hiroshima
今年は一寸遅いお盆の墓参りをJRバス+広電(チンチン電車)…郷里広島では新しく駅構内から路面電車が出発するようになり、比治山下電停で降りて小高い丘(比治山)を登り放射線研究所の前の墓地に到着。汗だくで墓参りと墓掃除の後、気分爽快。付近の現代美術館とまんが図書館を移動してのんびり涼みました。
翌日は午前九時過ぎに宿を出て、広島駅から芸陽バス(かぐや姫号)+在来線(竹原〜吉名)で田舎の小舎(空家)の空気の入れ替えに向かいました。敷地内に植えた草木が(雑草も)驚く程スクスク伸び放題、 ここでも墓参り(猫のミーミ)をして気分爽快。
大阪への帰り道の吉名駅〜三原駅間の在来線の車窓からは海がよく見えます。この日は忠海から安芸幸崎間がとくにきれいでした。猛暑、この旅は暑さに負けてか?軟弱なわたしは思うように歩けませんでした。ちょこまか途中下車したい欲とひとつの場所にじっくりいたい欲は両立しません。
Monday, August 4, 2025
......Tengachaya Nishinari-ku
土曜夕方 、ギャラリー二等車。脇田耕二氏の『されどだけど』ストリートスナップの名手の個展に行きました。
まず展示でパッと目に入った写真は、被写体を中途半端なところで切っているフレーミングの作品です。普通撮った被写体はフレームに全部入れるんだろうけど、それ「説明」くさくなります。途中で切る。それも中途半端で切ってるところが「写真」の面白さなんだと思いました。写真家は面白いものを見つけ、被写体に引きづられて撮っているから面白いです。
あと写真展って一枚か二枚かっこいいのがあると、全体的にすごくよく観えること。バラバラはバリエーションとは云わないので、基本的なところを抑えつつバリエーションを意識するといいことも学びました。
そして写真(作品)はあまり溜めないで発表した方がいいよなと。発表しないでおくと自家中毒を起こし、写真が選べなくなります。いい写真を撮ることもなかなか簡単ではありませんが、それよりずっとモチべーションを維持しながら何十年も作品を撮り続けることの方が大変です。
Tuesday, July 22, 2025
......Tengachaya,Nishinari-ku
金曜昼過ぎ、天下茶屋のギャラリー『二等車』で河合止揚氏の写真展を観に行きました。撮影者が被写体に没入して同期しているかのような、撮影時のシャッター音がまるで聞こえてきそうな高度な白黒写真です。
こちらはただ観ているだけで気分が高揚してくる展示です。多分写真家は五感をフルに使い撮影することで、音や匂いを感じカメラが身体の中に侵入してきて、写真家自身はカメラと同期してくることを喜んで受け容れている様にも感じられました。
あと「大阪で撮るとき、大阪らしさが写っているかどうかは気にしない、そんなこと考えない…」と話された写真観も気になりました。わたしも作者の心情とか意図とかを抑えたほうが、得体の知れない面白いものに観えてきたりすることがあると思います。
Saturday, July 5, 2025
......Nagoya, Aichi
七月二日水曜から名古屋に行ってきました。思い返すと名古屋は約三十年ぶりでした。記憶では京都に住んでいた十代最後の年、当時暮らした上賀茂のアパートからバスと電車を乗り継ぎ、栄に在ったクラブまで竹村延和のDJを聴くためだけに訪れたトンボ帰り以来です。
今回の旅(誕生会も兼ねて)は難波から初めて近鉄特急の火の鳥に乗りました。せっかく三十年ぶりに来たんだから、いろいろなところに行ってみたい、歩いてみたいと思っても、夏の陽差しと空気。動き回る体力がない、と怠ける言い訳か、そうはならないのが現実です。
ただ名古屋駅前のホテルにチェックイン前、撮影しに行った九番団地(ブラジル団地)は印象的で、たとえば建物や壁、路面や看板やブラジル人、、、偶然、見慣れたような光景、なんでもいいです。ふとしたタイミングでそれらに接するとき、ぺタっと吸い付くような感触を覚えました。
この撮影してからの写真も、これからフィルム現像の過程で、露出不足、白飛び、現像ムラ、定着不足、水洗不足、画面上の傷、ホコリ、ベコベコにうねったフィルムを直接手で触りながら、決めていく感じです。ある程度の決まったプロセスはありますが、結局何をどう云いくるめようが、なんらかの必然性のない「もの」や「こと」は終息に向かっていきます。そのことだけはずっと信じられます。
Tuesday, June 10, 2025
……Osaka
Saturday, May 17, 2025
......Tsuruhashi,Ikuno-ku
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Sunday, April 27, 2025
......Nishinari,Osaka
先月、二週間ほど台湾に滞在した後”台湾”のフィルムをまだまだ一寸づつ現像しています。全く台湾らしい光景ではなくても、自分が歩いた台湾を思い浮かべ、その情景の匂いのようなものを、思い出しながら作業を進めています。なぜか新竹の竹東(ジュートン)の街が頻繁に頭の中にあります。
自分にとってフィルムと云う記録媒体は、無意識の領域を刺激するには適していると思います。短期間の外国へ行った後とか、意識している、していないにかかわらず、一気に自分の中に入り込んだ様々な情報で混乱してぼやけてしまった部分を徐々に落ち着かせる手段として、撮影済みフィルムを現像して漂白してデータにして見ていくと気持ちが楽になります。なので見たものを正確に写し撮ることではありません。
そうして、本当の無意識は中々むつかしく出来なくても、無意味なら近づけるんじゃないかと思います。ついつい意味があることがいいんだと、当たり前のように思い込んで、だけど意味はなくても全然いいんじゃないかと。意味や価値をそぎ落とし、好き嫌いをなくしたところに、面白さはないか、面白くしたいです。
Saturday, April 12, 2025
......Kyoto
ひとりサッカーの日課は、今月に入って実行率六、七割と云ったところ。先月は旅にも出たりでサボり気味です。最近は高尺フェンスとバックネットの在る西成高校横の西成公園でキックの練習も始めました。(全くキック力ありません…)
先週日曜、誕生日に京都へ遊びに行きました。錦市場近くの自転車屋で”Tokyo Bike"をレンタルしました。どこに行くか決めず、身体にまかせる…と云いつつ、だいたい鴨川沿いを北へ北へ向かうお決まりコースを漕いでしまうのですが、それもまたよし。と花見客あふれる鴨川べりに座ってサンドウィッチ、住宅街に逸れて古本屋、古着屋、御所でトイレ、京都グラフィー関連のギャラリー、旧ガケ書房のホホホ座、、、鴨川沿いに戻って、北山にかけての西岸沿いに腰掛け珈琲と一緒に誕生日ケーキ、そんな一日を自転車でブラブラしていました。
途中、京都の街で、とてつもなく刺激を受ける場所に偶然出会うこともあります。それは、いつも通い慣れた大阪の路上を意味もなく横に逸れたりした時に出くわすことがあるように。
いろいろな都市や町を訪れる機会はありましたが、そこを少しはずれるだけで、まだまだとんでもないものがあると云う単純な事実、そして好奇心の大切さを思い知らされます。
Saturday, April 5, 2025
......Taiwan
Tuesday, March 11, 2025
......Nishinari,Osaka
人は様々な理由で旅に出ますが、自分にとって旅の必需品、それは今も昔も簡単な筆記用具とカメラ、フィルム。これだけあればたいていの退屈な時間からは解放されます。
絵は昔から全く下手で、でも実は描きたいと云う気持ちだけは人一倍強かったです。だけど描けば描くほど似てなかったり、あの頃(子供の頃)は模写の時代って云うか、わたしの絵はあまりにも似てないってことで、後ろめたさや負けた味わいがずっとありました。
その点、写真は誰でも押せば絵になります。旅先では風光明媚なスポットや観光地には殆ど興味が湧かず、ボロボロに崩れかけたビルの壁、放置された段ボールの佇まい、草臥れたオジサンの後ろ姿、見た瞬間スッと心に入り込む得体の知れない何かの塊(カタマリ)に反応しています。
見たモノを正確に記録したり、見た光景を理解しようとすることでは全くありません。目の前の空気や佇まい、気配と云ったものを感じフィルムに落とし込むこと。進行形の状態で「カタチ」をできるだけ画き込み、貼ること。それらが自分にとって旅先では一番重要になります。
それは見ることと共に音、気温、湿度、匂い、風、光それらのすべてが絡み合います。稀にそれらすべてが身体に入り込んでしまったような感覚を味わい、これが「旅と時間」、「写真と自分」の関係にもすごく似ていて堪りません。旅の前日カバンにカメラとフィルム、筆記用具を詰め込む時、いつもそんなことを思います。
Sunday, February 23, 2025
......Tamade,Nishinari-ku
日曜、寒い。日課のリフティングは目標の回数未満の日が続いていますが、街の中をうろうろして、好きなカメラで好きなように撮ることは変わらず、続いていっています。
この数年はいろんなフォーマットのカメラで撮っています。最近はローライコード6×6と併用してローライフレックス4×4(ベビーローライ)と云う二眼レフカメラで127サイズ(ベスト判)フィルムでも撮りはじめてみました。
このベビーローライ久しぶりのカメラ萌えじゃないですけど、かわいくてしょうがないです。でもたぶん、私は同じところを行ったり来たりしてるだけで、実際にはカメラとか技術が変わってるだけで、変われない、って云う感じはするんです。
あの手この手を使いながら、これからどうなって行くんでしょうか。わかりません。昨日言っていた事と今日言っている事が一寸違っていても、自分の中で些細なことをどれだけ盛りあげることができるか、正解なんてないですから。
Sunday, February 9, 2025
......Nishinari Community Center
日曜、雪がチラチラの昼過ぎ。近所の区民センターへ大好きなラッパーの恒例ライブ『元気です西成2025』に向かいました。相変わらず堂々と西成節をキープオン。
最近は晴れの日一万歩、雨の日五千歩の習慣が、いつの間にかリフティングとドローイング、時々撮影(現像)の日常にシフトしてループオン。
子供の頃、絵(落書き)やスポーツ(サッカー)、音楽(レコード)に普通に興味を持ち、そのあと何となく興味を持った写真の道に進んだわけですが、単純に写真を撮ることだけに自分のおおかたの満足が得られる道筋があったなら、もう少し気分的に通りのいい日常を送っていたのかもしれません。
だけど、いつしか自分の好奇心はそう簡単に写真だけを能天気に撮っているだけでは一寸満足のゆかない領域にも突入してしまったことも事実だと思います。
また以前は失敗だと思っていたものが保留の時間を経て、あらためて見返していくと、この失敗だと思っていた落書きやサッカー、レコード、フィルム、プリント、そのものが今のスイッチとなり、何かつくりたくなる原動力なっていると感じます。
Thursday, January 30, 2025
......Tamade Park
一月。公園でひとりサッカーもだいぶ慣れてきました。年末にアディダスのサッカーボール五号球(パキスタン製)を手に入れてからは、仕事終わり夕方から近所の公園に寄って、一時間一寸ボールを蹴っています。運動はお天気にも左右されますが、大体この一ヵ月間は週休二日をキープオン。
全くいい加減かつ往生際の悪い云い方をすれば、久々に本当何十年以上経った今、このサッカーのボールをひとり壁面に向かって蹴っていると時々「何を自分はココでしているんだろう?」と奇妙な感覚に陥ることもあります。
五十に手が届くおじさんになった今、大阪の片隅の公園の地面の出っぱりにつま先を引っかけて転びそうになりながら、「俺は上手くないんだからいっぱい蹴って、下手なんだからびっちり蹴っていれば……」 イメージだけのかつて日常だった過去と現在がガッと混じり合うような気分になってボールタッチ。
いつもどんな気分になろうと、ひとつのモノを見続けていると、いつしか視点のほこ先がこちらの思いを越した内側に向いていることもあり、奇妙な感情や行動が見え隠れする瞬間があります。そして過去と今の時間が様々な方向へ飛び散るような不思議を思います。
ただボールを蹴る、ボールに触るだけで楽しい、と云うこと。それだけなんですが、サッカーこれから上手くなりたいおじさんのつぶやきでした。
Sunday, January 5, 2025
......Minamitsumori Central Park
そんなことをあれこれしながら、また「余白」でなく画き(貼り)こむだけ画き(貼り)こみ、画く(貼る)場所がなくなったら画いた(貼った)上からさらに画き(貼り)こんでいくドローイング(コラージュ)をやっていました。
ドローイングやコラージュをやることによって、重なり合う意味不明な線(形)を段々と自由に見れるようになって、写真も変化してきました。
その時々の関心で写真も変わるように、今はコラージュとドローイングに興味が移っているけど、今年はどうなるのか。その日、自分がなにを見ているか、予想もつかないところも写真の面白さだと思います。
新年の抱負なんてなかなか浮かばないけど、ふと二十年ぶりに思い立ってサッカーボール五号球を蹴ってみたら、泣きたくなる程下手くそなので、今年は今より少しは綺麗なリフティングを、壁に絶妙なパスを、蹴れるよう挑戦(練習)してみようと思います。そして、とりあえず一年無事に過ごせるといいなと。 はい。
Tuesday, December 31, 2024
......2024
火曜、大晦日。クリスマス以降は北浜のFOLK old book storeで開催されていたスーパーハイパースぺイシーのともさんCAPをプレゼントでもらい、その後は忘年会や飲み会とかはいっさいお誘いがありませんので、まあ暇、暇でもないんですが、のんびり年末を過ごしています。
ふと、一月から順番に今年の記憶をふり返ってみても、ざっくり云えばやや迷走気味で、健康状態は割と良く充電の年だったと前向きに考えることにします。最近は、無理せず怪我せず疲れを溜めず、手の届きそうにない欲求はあきらめ、静かに暮したいと、若い頃にはこんな平穏を望む人間になるとは思っていませんでした。
今、望むことは単純に普通に暮らしていくこと、自分ができる仕事を続けて生きていくこと、以外は望んでないです。あと好きな外国の路上に一寸行けて、歩いて撮れたらいいなと思うくらいで、いつもそんな気持ちには変わりありません。
結局それしかできないから、いつかどこかで偶々でも自分の作品を観てくれる人がいたら、なるべく好きに観てくれるように(メッセージはない)、本人の意図から離れれば離れるほど面白くなっていくように、同じようなことを淡々と積み重ねていきたいです。
2024年ありがとうございました。よいお年を。
森川健人
Friday, December 13, 2024
......Nishinari-ku
Sunday, December 1, 2024
......Nihonbashi,Tokyo
Art photograph group show (2024 November)に参加しました。ありがとうございました。
今回展示した新しいシリーズ"the versions"は観る人が題名に引っ張られることがないように、出来るだけフラットな言葉でなるべく具体的な情報を入れないようにこのタイトルにしました。観る人がどう考えるかが今の自分にとっては重要だと思っているからそうしました。
なんで自分自身そう云うことをしているのかは説明出来なくても、明らかにモチベーションがあってやっている感じです。自分が面白いと思っていて、コレが写真かどうかはわからなくなる時があり、自分でもわからないってところがすごく重要で大事だと思っています。
わからないことは面白いことなので、繰り返し歩いたり撮ったり、わたし自身もわからなくてやっていることが、いつかわかって説明が出来るようになると、そこでモチベーションがなくなりそうです。なので方法とか過程の説明は出来ても「わたしの作品はこうなんです」って説明は出来なくて、結局説明出来ないから写真にしています。
森川健人
I participated in the Art photography group show (November 2024). Thank you very much.
The new series "the versions" that I exhibited this time is clearly motivated, even if I can't explain why I do it.
I find it interesting, and there are times when I don't know if it's a photograph, and I think it's very important and valuable that I don't know myself.
Not understanding is interesting, so when I walk and take pictures over and over again, and one day I understand and can explain what I'm doing without even understanding it, I think my motivation will disappear. So even if I can explain the method or process, I can't say "this is what my work is like," and in the end, I take photographs because I can't explain it.
Kento Morikawa
Friday, November 22, 2024
……Tokyo
『the versions』(2024)
展示作品について、このシリーズはまず撮影によってイメージをつくることからはじめました。
時々歩く故郷の土地や、現在暮す町の界隈、偶然歩いた旅のどこかでも、カメラを手に目を凝らせば、あらゆる場所にずっとそこに在るかのようなキズやサビ、ヒビ、スレ、ズレ、ヨゴレ、シミ、ヘコミ、アタリ、カケ、ハガレ、メクレ、様々な放置された痕跡とボロい色の隙間に身体が反応して写真のスイッチが入ります。
それら大半は誰にも気づかれることなく、無関心と時間の中に生じたロスやエラーやノイズとして世界から消えていきます。偶然、わたしはその瞬間、フィルムを使ってイメージを定着したいと写真衝動に駆られます。ひとつのことが別の何かにつながってゆく感じです。
今回のアブストラクトシリーズでは、イメージを抽象化する要素になる撮影においての曖昧な記録性と、コントロールしきれないまま浮かび上がってくるフィルムの物質的現象としての作品を提示したいと思います。
森川健人
Tuesday, November 19, 2024
......Takehara,Hiroshima
Saturday, November 2, 2024
……Nishinari,Osaka
おなかいっぱいだと何も食べたく無くなるし、ある種の空腹感、渇望感が心を動かすための鍵なんじゃないかと。また写真を水に通して干して、破って貼って、剥がして切って、再度貼る、「アレ」がスタートします。年がら年中、誰に頼まれたわけでもない、当然不合理で無駄の多い制作をして過ごしています。何となく全体像みたいなものが見えてきそうな手前あたりまでは楽しいのです。
新たなシリーズをつくりはじめたころは自分でも思いもよらないような「イメージ」やら「一枚」やらが浮かび上がるたびに心が躍ります。そのうちだんだん枚数が増え、フィルムシートやドローイング、コラージュ置場の棚が埋まってくると「これ以上、増やすとまずい」と云う気持ちが先立ち、ブレーキを踏みます。自分がどん詰りに入るパターンはいつもこれです。
わたしはもう一寸で大阪の西成と阿倍野の境目の西成側に移り住んで九年になります。四十歳の年以来、ずっと同じこの3DKの部屋で一度も引越しせず(暗室は一度引越した)、案外長く同じ町に住んでいます。いつまで自分はここにいるんだろうと、そんな疑問が時々頭をよぎります。だけど先のことはわかりません。わからないまま九年近くの月日が流れたので。
Thursday, October 10, 2024
……Osaka
今週も水曜、岸里駅から大阪メトロ四つ橋線の本町駅で降りて、靭公園方面へ向かいました。先週からの歯科通いは取りあえず二回で完治しました。
最後の消毒前、「もう口の中は虫歯ゼロ…」先生が呟いた瞬間、久々にはしゃぎたくなりました。 しばらく痛んだ一本の歯がなくなっただけで、前は沁みながら食べたアイスの味が、凄く甘くておいしく感じるけど何かまだ違和感あり。人体の不思議を感じます。
制作中の来月末参加するグループ展の写真を破ったり貼ったりしていると、次に貼りたい写真が見つかります。このシリーズの写真を撮っているうちに、次に撮りたいものが見つかります。つくりたいことが一寸づつ増えていきます。
わたしは色々と理解して組み立ててつくろうとすると全然ダメで、制作過程がどうであれ、いつも思うのは最終形を想像しても、まず予想通りには上がらないことです。どこかに予期せぬ箇所が現れます。その予想通りに上がらない点が最大の魅力でもあり、その都度先読み対応に迷いが生じます。そんな迷いは拡散してキリがありませんが退屈はしません。
今回展示予定のアブストラクトシリーズでは、そういった状況を積極的に呼び込み、一本のラインを完成させないまま継続することを考えて、作品を提示したいと思います。
Wednesday, October 2, 2024
......Osaka
暑い暑いとぼやいているうちに、気がつけば十月、段々涼しくなってきました。水曜、夕方五時過ぎ靭本町の歯医者。一寸前、奥歯の詰め物が突然取れ、ずっと放っておいたら血流のリズムでズキズキと頭に激痛が走るので、教えてもらった靭公園前の歯医者に行きました。
ひとつのことが別の何かにつながっていく感じというか、現在暮らす町の界隈で、時々歩く旅のどこかでも、カメラを手に目を凝らせば、あらゆる場所にずっとそこに在るかのような「キズ」「サビ」「ヒビ」「カビ」「カケ」「ズレ」「ケズレ」「ヨゴレ」「ハガレ」「シミ」「ヘコミ」「アタリ」、、、放置された痕跡やボロい色の隙間に身体が反応して写真のスイッチが入ります。
それら大半は誰にも気づかれることなく、どこかに隠されたり、無関心と時間の中に生じたエラーやロスやノイズとして世界から消えていきます。偶然、わたしはその瞬間、フィルムを使ってイメージを定着したいと衝動に駆られ、モチベーションになります。
理屈ではなく、いまコントロールしきれないまま、浮き上がってくる写真を自分ではどういう風になるか分らないまま、行き当たりばったりのプロセスの中で、関心が拡散してキリがありません。キリがないけど思い込んだ意識が壊れ変化していくことで、自分の中の縮こまって空回りしていた曲線が伸びてゆく感覚があります。
コントロールできないこととは、外部に在るものを受動的に取り込む行為や、見ていなかったものが写り込んだり、予期せぬことを積極的に呼び込み浮かび上がってくる写真の「現象(ゲンショウ)」のことについてです。
しょっちゅう迷走しているし、行き詰まってますが、深く考えずに、ただ遊んでいたら「オッ」と思うようなものができた、そういう感覚のことです。はい。













































