だけど三十歳あたりから、その眼のピリピリが減ってきました。たぶん、仕事や周りの人間関係いろいろ自分の感情を制御して、おもしろいと思うことがあっても、「今それどころでないよ」とブレーキを踏む。それを繰り返しているうちに感覚は鈍ってきました。あたり前だと思っていた感覚がなくなりかけて、はじめて大事な感覚だったことに気付きます。そこはブレーキを踏まず、嫌なことは我慢せず、やりたいことをやっていないと眼が痺れるかんじは消えてしまうということがわかりました。
といっても、やりたいことばかりやって暮らしていけるわけではなく、今だって、それなりに我慢しながら生活している筈です。が歳をとるにつれ、いろんな感動に免疫みたいなものができて、一寸やそっとではいいと思わなくなります。そのへんを踏まえつつ、昔のように眼の裏側がピリピリする感覚をとり戻せないものかと、ずーっと試行錯誤を重ねているうちに、ここ数年一寸づつ復活してきた気がします。
土曜。昼過ぎ天下茶屋の写真ギャラリー二等車で脇田耕二氏の個展。昨年の夏に二等車で見た以来です。何年か観続けている写真家で、今回の展示『されどだけど2』軽くてよかったです。バリエーションが安定しないような、色々な同じイメージにならないような、写真の流れが個々違うように、反応が同じようにならないように、それをギャラリーの空間に15点、似たようで違うストリートスナップが並んでいました。今回ピントが合ってない写真が大分いいと感じました。
一貫してストリートスナップをモノクロームで撮り続けている写真家です。作家自身のクセとか特定のルールがそこに出てきて、そのルールがなんとなくわかってくるのですが…ギャラリーの壁上にセレクトした断片(作品)をどう並べたのか、その解いた答えは一つとは限らないので、観る順番と距離、光の角度で印象は変化します。「私が撮りました」っていう人とは違い、「カメラが撮っているんですよ」っていう、そこも写真家のリアリティーだと思います。
写真もアートも特定の誰々を継続して観ていると面白いです。月日を経ることで見えてくるものがあります。そして自分自身(鑑賞者)の興味もすこしづつ変わっていることに気付きます。













































