九月五日(土)、今週は平日だけでなく週末昼過ぎ京都へ行けました。地下鉄を乗り換え、淀屋橋駅改札前「米屋のおにぎり屋」で昼食にツナマヨとおかか、お茶を買ったら京阪の特急で終点出町柳駅まで。
この日は叡山チン電の一乗寺駅下車、曼殊院通を東へ数分の古書店「萩書房」レジ前棚の深沢七郎『生きてるのはひまつぶし』を数頁捲って元気が出たところで、一乗寺門口町の一角、継いで白川通を北上し修学院貝原町周辺をぶらぶら。流石にこの辺りまで来ると町並み、風景、田んぼの匂い、虫の声、架空の祖母の家に向かっている気分を味わえます。
白川通から修学院駅周辺まで戻る途中、気になっている山端滝ヶ鼻町の一角をパトロール。駅前プラザ修学院(アーケード街)「タナカ パン製作所」でハード系バゲット、生クリームあんぱん(美味しい)購入。お腹が空いて駅のベンチで珈琲と一緒に食べから再び一乗寺駅へ移動。久しぶりに「恵文社」へ。一時間は店内をウロウロ立ち読みして出町柳に出て帰途につきました。
また帰りしなボーと浮ぶ、わたしにとっての写真撮影とは...自分に影響をおよぼすものは全部写真なんだとかおもえてきて、だから光なり匂いなり、歩いていて反射的に反応するもの、っていうのはじぶんにとっては写真なんだろうと。大袈裟に言えば反射的に反応するものは、何かしら自分の自画像だったりする気がして(恥ずかしながら)。
只今現在、忙しいわけではないですが、一寸した雑用が多くて時間が細切れになっている感覚。まとまった時間がとれません。その分、ひとつの都市に滞在したり、ひとつの場所をぶっ通しで撮影したりする時間が減っているなと思います。
こうして一寸ずつ京都へ通って歩いていると、なんとなく毎回不完全燃焼になり、物語(イメージ)に入りこめてない感じ。それなりに地続きの時間をかけないと味わえない高揚感があります。今は日常ちょこまか仕事をして、家事をして、ネットを見たりメールをチェック、何かと時間が寸断されます。
三十代の途中から四十代の途中まで、お金はなくても年に何回かは外国へ旅する時間はありました。そのころの生活に戻りたいとはおもいませんが、偶には外国を歩いたり、新たな一箇所に滞在する撮影もすこし取り戻したいと思うところ。













































