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Sunday, June 28, 2026
......Kyoto
Saturday, June 20, 2026
......Sakyo-ku,Kyoto
水曜晴天、今週も左京区散歩。出町柳駅から北東に向かって高野川の遊歩道(砂利道)を歩いて東鞍馬山通、はじめての「左京図書館」。こじんまりした棚に中上健次『南回帰線』発見。懐かしくて反射的に手にとりカウンターに持っていきそうになって断念、カード持ってません。
すぐ側「大力餅」でいただいた親子丼、出汁がきいて美味い。田中西浦町周辺、東鞍馬通を直進、疏水沿いでクチナシの花の香りが路上の空気を甘くし...ひたすら銀閣寺方面へ向かって撮影。一寸づつ飽きたところで、また疏水沿いUターン高原橋(疏水分線)まで戻ってきたら、白川通「ライフ」で涼み休憩。
継いで「生鮮館なかむら」、「フレスコ」併せてウィンドウショッピング。なんか京都歩いていると「この」スーパーマーケットたち頻繁に出会います。続いてインパクト強め「喫茶ミュー」発見。ランダムに貼られた沢山の逆さ習字文字がかなり惹かれます、がこの時入店勇気なし、また白川通りUターン。
やっとメインの「バックス画材」到着。色んな出力用紙、IJ用写真用紙/厚紙用紙、和紙、木製パネル、など見ながら、それぞれイメージが降りかかり頭の中に浮かぶアイデア、捉え方は現実に変換できるのかは謎。いつ使うかわからないような高級なものより、高級じゃないけど毎日気軽に触れてリーズナブルなほうが、習慣化できるかな、と迷走しつつ取りあえずサンドイレイザーだけ。
夕方、住宅街で得意の方向音痴感覚発動、東大路通り、「イズミヤショッピングセンター」で一服、「洛北阪急スクエア」で珈琲。再び高野川遊歩道の帰り道、出町までを気持ちよく歩いて、京阪の始発から終電まで乗っかって大阪に帰りました。
この日トータル四時間くらい歩きました。靴底が平らなアディダスのムンディアル"ゴール"だと疲れません。同じムンディアルでも靴底にポイント(ポコポコ)が在る"チーム"だと一時間も歩かないうちに足が怠くなってました。疲労感がまったくちがいます。靴のせいなのか、天候のせいなのか。
Thursday, June 11, 2026
......Osaka/Kyoto
気付いたら大阪も梅雨入り。数週間前は急に暖かくなっていたせいか、夏バテ気味で、軽い目眩立ちくらみが続いていました。五月末に予定した台湾撮影(二週間程)も泣く泣く延期に。もう大分治ったけど、今は様子見といったところです。
六月十日(水)昼、京都。天下茶屋から北浜、京阪の終点出町、叡電に乗り換え元田中到着。「てんぐ食堂」でカレーうどんといなりをいただいて、東鞍馬口通、高原通りをぷらぷらパトロール。昼すぎビックカメラの前から市バスで北大路バスターミナル、地下鉄に乗り換え今出川到着。御所を横目に一条通から元真如堂町周辺を散歩の途中、何ができて何ができないかということを考えていました。考え事や思いを巡らせることは外を歩きながらの方がいいです。室内だとできないことばかり考えてしまうから。
近頃どこを歩くか迷ったら、川、公園、スーパーマーケット、気になる喫茶店、気になる物件(住んでみたい家)、を目指します。自分の場所が一寸づつ広がってゆく感じ、一服できるところを見つけたら、人が作ったzineとか持ち歩き本を広げて紙(頁)に触れています。何かをつくることを続けていくならインプットが必要ですが、わたしはアウトプットばかりに気をとられ圧倒的インプットが足りていません。
夕方、同志社大学前のバス停から北野白梅町を目指して乗ったバスを間違え、途中下車して再びJR二条駅周辺のバス停から嵐電の北野白梅町到着。先月伺った際は臨時休業だった珈琲店「伴奏珈琲店」の戸を開けたら満席でまた残念。気をとり直して北野天満宮から流れてくる天神川沿いをぼちぼち撮影しながら、お金をかけないことも工夫しないとな、とかそれが面白いとか面白くないとかじゃなくて、いつでも使えてすぐ触れることは重要、とか云々が浮かびます。
気に入ったリーズナブルなカメラ、期限切れの古いフィルム、ボツにした印画紙、売れ残った印刷物、が目の前には一杯あります。フィルムで撮った写真が好きというより自分の気分がいい写真を見たいという欲でずっとやっているので、時代に合わせるとかスタイル(方法/プロセス)の維持とかはまるで気にしないようにしたいです。ずっと誰にも何も頼まれていないけど、なんらかの必然性がないものは終息に向かってゆくことだけは信じています。
Wednesday, May 13, 2026
......Kyoto
五月十日(日)昼すぎ、京都。 連休中、京都で気になる写真家の絵画展やイベントを観に行けなかったので、行ける時には行かなければと。地下鉄、京阪、市バスに乗って岡崎公園 ロームシアター京都・みやこめっせ前到着。『ZINE FEST 写真』(みやこめっせ地下一階)と『KYOTOGRAPHIE PHOTOBOOK FAIR』(ロームシアター三階)、写真集関連イベントが向かい合って開催されていました。どちらも来場するお客さんが出たり入ったりと大盛況。それぞれの会場では一寸違ったタイプの人、作品がたくさん並んでいました。初めて出会って反射的に第一印象イイ本買ってみました。
-ZINE FEST 写真-
・self-introduction since 1987 : softinhard / kastuhiro Tsuji
このZINEは映像的で二十頁程をめくるたびに視点が浮遊します。ぱっと見、自意識強そうに見えて、作家の自意識と無意識が生成され消失して流れていきます。表面と内面のような瞬間を切り取った写真は口数は少ないが饒舌。
・We Cannot Own Time / 困難さん(困難堂)
写真に撮ってしまえば、現実の世界も写真の世界も区別がつかない世界です。撮影し終えたフィルムをベロ出しして、再び装填、撮影を繰り返す多重露光は現実とイメージを反復していくこと。こうして自分を消すことができた都市の風景作品。
・In coming Breezes / Daisuke Washio
紙の質感、本の綴じ、物質感を指で感じるタイプのZINE。上から下へ、そして再び上へ有機物と無機物、時間と空間が再構築されていきます。曖昧で不明瞭な部分を残して、ノスタルジックにも見えるし、なんだか物語性があるみたいな不思議。
-KYOTOGRAPHIE PHOTOBOOK FAIR-
・APARTMENT SECURITY GUARD.02 / byungduck
・OBJECTS TO BE DEMOLISHED / byungduck
韓国のMAGNETIC5 BOOKS刊行の二冊。アパートの記録や建築物、解体対象物の雰囲気だけでなく、空気を感じとれます。これらの写真からは普段、街の中で見過ごしてしまう、人の観念や感情を無理なく自然に写真にしています。人は写っていないけど、人の様子や姿の向こう側を注視する作家の一貫した姿勢が気持ちイイです。
せっかくなら本は買った方がいいですね。自分自身の身銭を切らないと身にならないこともあります。本に限らず、子どもの頃レコードや洋服とかの...あの感じ、その頃も思い今も考える単純なことを思い出します。それは買うと自分に身につく感覚(思い込み)、人と同じはイヤだということ。
Saturday, May 9, 2026
...Osaka
ここ数日、だいぶ暖かくなりました。日課のリフティングがすっかり散歩に変わったようで、続いています。ローライ(カメラ)持参の日は少ないですが、散歩のときの持ち歩き本は欠かせません。公園のベンチや喫茶店で写真集"薄い"ZINEを眺めたり捲ったります。
土曜日、難波のジュンク堂の棚に『西村賢太殺人事件』この手の本がマジで出版されていたというのを知りました。帯に「恋人が綴った、けんけんとの3547日 -生きていてほしかった- .....」思わず笑いが込み上げてきます。著者は没前の恋人。生前の西村賢太がこの本を読んだならどう感じるだろか、と想像しながら立ち読みスタート...頁をめくる手が止まりませ…ん。続きが気になって仕方ありません、不覚にも腰が痛くなってきたところで、購入決断。
スタートはおばさん(著者)の自分語りみたいだと、いやおじさんの自分語りも世間では敬遠されがちですが、おじさんの自分語り(私小説)でお金を稼いでいた西村賢太はやっぱり偉大だったと、帰りしな千日前の星乃珈琲店で読みながら。まさか後年、まとめて人眼にふれる事態になろうなど、本人(けんけん=西村賢太)もその事態とは自らが小説中でこれまで表現したものと一味も二味も違う、案外に手強い表現(方法)であることをしみじみと感じるのではないでしょうか。こういうのを見つけると何故か嬉しくなります。店を出てOSドラッグでヘアオイルゆず油を購め帰室。
Wednesday, May 6, 2026
......Nishinari,Osaka
相変わらず、散歩してフィルムを触って、写真を貼ってはがして…平穏をありがたいと思います。先のことを考えるのが得意ではないので、将来の悲観はあまり言葉にしたくありません。連休中、どこへ行っても人が多いので、その日の気分で北加賀屋や阿倍野辺りの「近所」を歩きちっとも撮影ははかどりませんでした。ぐうたらして、不貞腐れて、ときどき何もかもいやになり、無意味で無駄に感じる時間を過ごすことがあります。
写真は基本ハズしてハズしてまたハズして(といってアタりがなにかいえません)、写真だけの話しではありませんが、いつもそこからカンが養われるので、失敗なしなんて虫がよすぎます。好きな仕事をして、しかしほんとうに好きなようにしていると、それはそれで次々と難しい問題も出てきます。自分のほうから難しい方向へ進んでいってしまうといったほうがいいかもしれません。
作業部屋で何をつくるか、どうつくるかといったことにしても自分の感覚で選んでいくしかありません。開き直るわけじゃないけど、その感覚が間違っていてもいいです。間違っていると自分でわかる前に修正してしまうのはよくないと。人に言われてすぐ修正する癖が身についてしまうと、自分のやりたいことがわからなくなるので。
そんな時、逃避の散歩に行きたくなる街があるように、聴きたくなるレコードがあります。これまで生活してきた中で、ずっと変わらず心に残っているレコードはありがたいなあ、と思います。ネットやデータで音楽を聴くことも多いですが、レコードをかけます。そんな時に思うのは、実際にジャケットを手に取って盤を取り出し、針を置いてパチパチ音を出すという行為は、やっぱり気持ちが乗るし、明日か明後日くらいの活力につながります。
Tuesday, April 14, 2026
……Osaka
土曜日、千里中央駅の「ニューアストリア」でカツサンド(野菜入)、ミックスサンド、アメリカンコーヒ(珈琲)。隣駅の公園そばの本屋「ブラックバードブックス」で遅ればせながら金村修著『写真批評』(PTC、第二刷発行)サイン本購入、緑地公園周辺散歩。帰途、梅田で乗り換えて南森町駅へ。夕方、天神橋筋商店街をブラブラしてパン買って帰宅。
月曜日、昼過ぎ、阪急池田駅。呉服町、栄町商店街を中心にできるだけゆっくり歩く。途中「サイゼリヤ」でイタリア風ハンバーグ。帰途、梅田で乗り換え西梅田駅(地下街)前「マヅラ」で先日購入した『写真批評』と珈琲で一服。面白いのはわかっているので、早く読むのがもったいなくて、無駄にゆっくり一寸ずつ。ゆっくりじっくり読んだからといって内容がしっかり頭に入るわけではないですが、写真にせよアートにせよ音楽にせよ、何らかのカケラが頭の中で散らばっている状態は心地よいのです。
なにかを理解するには経験や知識の整理整頓が必要ですが、たとえそういうことを怠っていても、興味がとっ散らかっていても、わたしはそのおかげで写真が続いているともいえます。なにがやりたいかわからない時、だから散歩に出かけます。街に反応してなにかしら考えます。今はとっ散らかった興味を縮小したい、それは簡単そうで簡単ではないのですが、たぶんできると…
Thursday, April 9, 2026
Tengachaya/Ichijyoji
日曜日、昼過ぎ天気がいいので西成散歩。風もなくおだやかな天気。紀州街道沿いの天下茶屋公園(日課のリフティング場のひとつ)いつになく花見で人がたくさんいます。ベンチで桜を眺めながら人間ウォッチング。それから駅ロータリー前のヘアカット専門「MAX」(1000円)という床屋に寄って、前と横と後ろを水平に切ってもらいました。わたしのこのヘアスタイルはここ何年同じなので、チョンチョンチョン、ハイオワリーで五分とかかりません。我ながら頭に関しても安上がり。
月曜日、誕生日は晴れ。京都の藤森へ。淀屋橋駅で「米屋のおにぎり屋」おかか、昆布、玄米にぎり、紅鮭を買ってから京阪で墨染駅、そこからJR藤森駅まで墨染(すみぞめ)通りの緩やかな坂を一寸歩きます。良い名前の通り。晴れていて伏見桃山城と駅横で見つけた野菜の自動販売機(ロッカー型)で売っていたキャベツがきれいでした。
藤森駅からくいな橋へ。京都駅で地下鉄に乗り換えて、くいな橋駅到着。竹田久保町周辺をパトロール開始...屈み書房?等々チェック、鴨川にかかる水鶏橋を渡り国土交通省運輸局をバックにベンチで桜を見ながら食事(おにぎり)して一乗寺へ。
出町でチン電に乗り換え三つ目。「遠藤珈琲店」のアンプ前特等席でエチオピア珈琲とチーズケーキで誕生日おめでとう、心のこもった空間でした。「マヤルカ古書店」、「恵文社」、「萩書房」臨時休業の張り紙、イズミヤショッピングセンター三階マッサージチェア(十五分、三百円)×2してボーとしてたらもうこんな時間に。アルザス地方の料理が食べれる「アルザス」はラストオーダー時間に間に合わず残念、代わりに向かった一乗寺ラーメン街道(東大路通)の「珍遊」中華そばに甚く感動。
夜、日付が変わった時間、去年の誕生日も鴨川で桜を見たなあ云々の記憶がいろいろ浮かび、また酒をのみました。
Friday, March 27, 2026
......Kyoto
三月二十四日、昼過ぎ、京阪電車の終点 出町柳から叡山電車(チンチン電車)で三つ目、一乗寺駅到着。名物書店「恵文社」たぶん八、九年ぶりです。この街でも疏水沿い散歩。同じような行為が一寸続いています。なにを撮るかは決めず(意識して)、上手くならないことだけを考えながらぶらぶら撮影(動画も)。昔ながらの「イズヤショッピングセンター」施設全体が老朽化して風情あり、上階の無重力マッサージチェア(十五分、三百円)。隣の「阪急スクエア」で明るいペットショップの猫みて、文具店でどうぶつのり買って、ぼんやり珈琲飲んだら茶山・京都芸大駅から帰途につきました。
木曜日、いよいよ気温も上がりはじめ天気のいい別の日。また宇治の小倉駅へ。周辺をできるだけゆったり歩き駅前で中華そば。次に近鉄と京阪を乗り継ぎ、出町から叡電で一乗寺駅。二人で見るものはないか、一人で撮っていると簡単に没入できますが、二人でいると話に夢中になっています。この日も恵文社で本を触って、曼殊院道から払殿町、染殿町界隈をパトロール。
帰りしな出町柳「ふたば」の豆大福、珈琲休憩は「ミスド」。三条「アンジェ」でアルミ製クリスタルボールペン、「丸善」で砂消しゴム購入。「メディアショップ」のレンタルギャラリーと高瀬川の夜桜、ぼんやり風が吹く。ずいぶん人通りがはげしいので、ゆっくり立ち止まっていられません。なんだこうだ言っても日常を撮ってる写真だから、本を読んだり、言葉を探したり、キャパシティを広げたいです。
Wednesday, March 25, 2026
......Tengachaya/Kyoto
季節の変わり目だからか、寒いのか暖かいのか。いい作品集を眺めると、お前も一つどうだ、とそそのかすようなところがあって、本の内容と関係ないイメージがいろいろ浮かんできます。
三月二十一日、夕方六時ごろ、天下茶屋駅。写真家の脇田氏と簡単なミーティング。作品や展示の話より「いっしょになにかやることはあるか、ないのか。存在するのか、しないのか。せっかくならなにかやることはないか、なにかできたらおもしろいよね(企画)、遊びの場としての写真活動云々-」その後は歩いて近所の写真ギャラリー二等車で河合止揚氏の個展初日へ『97年中国雲南省昆明留学日記vo.2』観ました。
日曜日、午前九時ごろ、宇治の小倉周辺をウロウロ開始。これは気になる、これは興味ない、と余計なものも見えてきます。なんか歩きながらザルにかけてふるいにかけている感じ。次は近鉄電車で京都駅(観光客多さに慄く)経由、夷馬場町付近の古民家空き家地帯で立ち止まりました。アラブ系屈強男性集団がデカいバンを停めて廃墟風長屋に引越しの最中。五つの薄汚れたマットレス等を室内に乱暴な流れ作業で投げ入れる姿に「なにかのアジトかしら?」ワクワクしてきます。JR梅小路京都西駅前「志津屋」窓際席で珈琲とサンドイッチ。
夕方、地下鉄烏丸線くいな橋駅にたどり着きました。駅を出ると左手すぐ水鶏(くいな)橋を京都拘置所方面に渡り、観光地でない鴨川沿いをひたすら散歩。気分は最高…金八先生?カモ、サギを眺め......撮影した対象のディテールや表情だけじゃなく、もっと漠然とした場における、気分というか曖昧な空気感、気配、ニュアンスが残るようなものを。ただ今現在、写真を視覚的情報だけに頼って撮っているんじゃないことがだんだんわかってきます。結構、抽象的になっていることも。ただ自分の見た視覚以外で写真を撮る要素は全然あると思っていて、視覚以外の要素を写真で表現したくなる年ごろです。
Monday, March 16, 2026
……Kyoto
三月十四日(土)、昼すぎ、今週も自宅からほど遠い京都の疏水沿いを歩きました。淀屋橋駅経由で京都に行き、またある日のいつもの散歩から淡々とはじまっていくみたいに、反射的にこちらに引っかかってくるものを眺めて、スナップを撮ったり。わたしの場合、ものに寄りがちなカメラワークで、どんどん寄って足元を見てしまうのがただ今現在のスタンス。
風景に感動しても写真を撮りたくなる衝動とは必ずしも一致しませんが、いつもカメラを持ってない時ほど撮りたくなる瞬間が訪れます。うまく思い出せない夢のようになってしまうのも事実です。何かを「見た」気になっているし、空間を「感じた」つもりになっていても実際は、自分が意識して見過ごし、捨てた部分の中に、探しているものが、実はあり続けたりする経験がこれまでもある気がします。
ついつい都合のいい部分だけ切り取って、都合のいい部分に何か意味があると、思い込んでいるけど違ったりします。考え方ひとつ変えれば、捨てたり、忘れたものの中に考える何かはあるかもしれません。そのへんが感覚できないと写真を長くやっていてもつまらなくなります。結局は、何をどういいくるめようが、何らかの必然性のないものやことは終息に向かう、そのことだけはいつも信じています。一つの必然性じゃなくて、これまでの経験や身体のなかに在る、いろんな必然をベースにして。
Saturday, February 28, 2026
......Kyoto
Saturday, January 31, 2026
......Tengachaya,Osaka
だけど三十歳あたりから、その眼のピリピリが減ってきました。たぶん、仕事や周りの人間関係いろいろ自分の感情を制御して、おもしろいと思うことがあっても、「今それどころでないよ」とブレーキを踏む。それを繰り返しているうちに感覚は鈍ってきました。あたり前だと思っていた感覚がなくなりかけて、はじめて大事な感覚だったことに気付きます。そこはブレーキを踏まず、嫌なことは我慢せず、やりたいことをやっていないと眼が痺れるかんじは消えてしまうということがわかりました。
といっても、やりたいことばかりやって暮らしていけるわけではなく、今だって、それなりに我慢しながら生活している筈です。が歳をとるにつれ、いろんな感動に免疫みたいなものができて、一寸やそっとではいいと思わなくなります。そのへんを踏まえつつ、昔のように眼の裏側がピリピリする感覚をとり戻せないものかと、ずーっと試行錯誤を重ねているうちに、ここ数年一寸づつ復活してきた気がします。
土曜。昼過ぎ天下茶屋の写真ギャラリー二等車で脇田耕二氏の個展。昨年の夏に二等車で見た以来です。何年か観続けている写真家で、今回の展示『されどだけど2』軽くてよかったです。バリエーションが安定しないような、色々な同じイメージにならないような、写真の流れが個々違うように、反応が同じようにならないように、それをギャラリーの空間に15点、似たようで違うストリートスナップが並んでいました。今回ピントが合ってない写真が大分いいと感じました。
一貫してストリートスナップをモノクロームで撮り続けている写真家です。作家自身のクセとか特定のルールがそこに出てきて、そのルールがなんとなくわかってくるのですが…ギャラリーの壁上にセレクトした断片(作品)をどう並べたのか、その解いた答えは一つとは限らないので、順番と距離、光の角度で印象は変化します。「私が撮りました」っていう人とは違い、「カメラが撮っているんですよ」っていう、そこも写真家のリアリティーだと思います。
写真もアートも特定の誰々を継続して観ていると面白いです。月日を経ることで見えてくるものがあります。そして自分自身(鑑賞者)の興味も一寸づつ変わっていることに気付きます。
Sunday, January 4, 2026
......From my room,Osaka
年末年始は大阪でのんびり過ごしました。大晦日は紅白、ぐるナイ年越しおもしろ荘、、、テレビを見るのは春夏の高校野球の季節と正月くらいになりました。たまにテレビを見ると、若い出演者や芸人、コマーシャルに出ている人がわからない。生きている人か死んでる人か、わからなくなってきています。
年明けはスポーツ中継、座王 新春SP、あとは家の人お勧めの韓国(ホラーとか)映画をアマゾンプライムで。絵と音楽は好き嫌いはっきりしているけど、映画の好みは定まっていません。気がつくとこの何年映画館は数えられるくらいしか行ってなくて、台湾や中国の映画から何人か「いいな」と思った監督がいるけど、惚れ込むところまではいっていません。映画を見ていると、いい気分転換になります。スポーツもそう。
その後あいかわらず写真ばかり貼っています。意識が散漫なとき、撮影したフィルムと私家版の頁をやぶります。何かを切り取るとかでもなく、ただ重ねてみます。写真を貼る、線を画く、音楽を聴く、自分の中でどこか重なっていて、惰性といえば惰性ですが、惰性を身につけてよかったと思えます。どれだけとっ散らかっても、いつか自分の中でつながるから。やる気が出ない、それでも続いていくこと。今年も楽しみです。
Tuesday, December 30, 2025
2025
今年もあと少し。仕事、終わったんだか終わってないんだか、すでにのんびりしています。大掃除はせず、フィルムをスキャンしたり写真集をコラージュしています。ここ数日、近所のスーパー、薬局はだいぶ混んでいました。
この年末は天下茶屋の「二等車」で河合止揚氏の個展『中国雲南省昆明留学日記』を観たり、海外旅に出たくても出てないから、鶴橋コリアタウンの「オヂェパメン」で釜山名物デジクッパ、蒸し豚を食べたり、久々に心斎橋筋の「功夫ラーメン」で台湾牛肉麺、ルーロー飯を食べたりしてました。あとは西成で撮影(散歩)とリフティング。この夏は風通りのいい道を歩き、冬は日当たりのいい道を歩きます。夏の夜の公園は蒸し暑かったけど、冬だと寒く、寒風の向かい風のボールタッチはつらいのです。すぐ家に引き返したくなります。それでも足を動かしていると段々体が温まってきて、もっと蹴りたくなるから、気分もよくなります。
「自分はこれから何をしたいんだろう」と考えながら、取捨選択をして、時間がかかります。それをしないと、先に進めない気になりますが、何を撮る(つくる)かで、悩むひまがあったら、とりあえず、何かを撮って(つくって)それから悩んだほうがいい。……という言葉がまた浮かびます。
わたしの写真は達成感が全然なくて、今日いいと思ってみても次の日にはよくなかったりとか。なので撮った(つくった)ことを忘れてしまうくらい寝かせて、時間が経ってあらためて見る方がちょうどいいみたいです。そうして自分が言ってたことと写真の内容がズレてきたら面白くなるぞ、とひらめきました。ズレることによって、そこに新しい何かが立ち現れ、つぎの写真が生まれるから。これからもズラしてズラしていく、あり方を採りたいです。今、日本酒で一寸ほろ酔いです。
思い返せば、この一年は一度も病院にお世話にならない体調良好な年でした。今さらながら、健康だと珈琲と酒がうまい、できるだけこのペースで行きたいです。2025年いろいろありがとうございました。よいお年を。
Thursday, December 4, 2025
……Tokyo #2
Wednesday, December 3, 2025
......Tokyo #1
まず最初、ひさかたぶり恵比寿の東京都写真美術館へ『作家の現在 これまでとこれから』。展示場は石内都、志賀理江子、金村修、藤岡亜弥、川田喜久治、と五人の展示に区切られ、約100点もの作品群で埋め尽くされていました。一点ずつじっくりと時間をかけて、とはいかなかったけど、できるだけ集中して会場を歩きました。極力先入観や偏見に足を取られないように、ニュートラルな目線の先、こちらにひっかかってくるものは、、、なんて、はじめは考えながら、やっぱり特定の作家の展示の前で足が止まります。
藤岡亜弥氏の展示、近年大阪のニコンサロンや奈良の写真美術館で観たとき同様、人物、静物、光景、対象を具象的に写したものがびっしり並び、ハッとさせられるカットもあり撮り方がすごく上手いと思います。それは、特徴の一つですが、本当の魅力は、日常の中に潜む謎、普通の人の不思議さ…バラけていた点と点がつながっていくコラージュみたいな面白さがあります。また作品鑑賞が進むにつれ至近距離にブラ下がる、先日亡くなられた、地元(広島)の路上の伝説にして「存在自体がアート」だった広島太郎さんの数点のポートレート(ばかり)に、どうしても焦点があってしまう、もどかしい感覚も抱きました。
金村修氏の作品、二十八年前、初めて四谷三丁目の写真専門ギャラリー Mole(モール) に訪れた折、一階(写真集販売店)レジ後ろの壁に貼ってあった一点のランドスケープのプリント作品を観たときから、一瞬で何か来るものを感じ、「同じものが自分の中にもある」って感じで、全くおこがましいのですが、得意の思い込みを発動させ、その後もずっと影響を受けています。私にとって教科書みたいな存在。今、目の前に並ぶ多くの作品(プリント、映像、コラージュ、ドローイング)は、あの時からずっとつながって、それらが明らかに違和感を覚えることなくじっくり突きつけられた、そんな思いになりました。
(つづく……)
Wednesday, November 19, 2025
......Hiroshima
今年も十一月十七日、十八日は広島。母(尾道生まれ、広島育ち)命日の墓参り。今回の帰省も梅田から高速バスで広島駅着、駅の花屋さんで赤と黄の花を買ったら、広電(チンチン電車)に乗っかって比治山下で下車。
ゆっくり放射線研究所付近まで登って墓地到着。広い敷地の隅っこに在るお墓の左右の花立には、既に真っ白なトルコキキョウが盛り盛り飾ってありました。そこに赤と黄も加えて合掌。
毎回お墓を後に丘を降りながら感じる清々しさ、わたしにとって先祖の供養もさる事ながら、基本どの宗教にも帰依してない日常の暮らしで、今の自分自身を見つめ直すことにもなる、他にない不思議な時間です。あとこの比治山という小高い丘を歩くことが何よりも心地よいのです。
翌朝は広島駅で「むすびのむさし」のお弁当を買って、安芸路ライナーで広駅まで行き、在来線で吉名駅へ。この日は途中、安浦から風早の車窓からの海が特にきれいでした。今夏、田舎の小舎の敷地であれだけ繁茂した草木は、先日シルバー人材センターの方が来てくれて、すっかりスッキリしてました。
Sunday, November 16, 2025
......Tokyo
Sunday, November 9, 2025
......Nihonbashi,Tokyo
忘れかけの記憶というか、消えていく夢というか、たとえば被写体をうまく写すことも重要ですが、わたしはずっとそこに在るかのような空気に、反応することの方が大事です。
二眼レフの正方形ファインダーを覗きながら、近くで見ているのに遠い印象、鮮明だけどおぼろげな光景、そういったものを写し撮ることができるなら、それは原型をとどめない程にシャッターを切る多重露光ではないかと繰り返しました。
考えてみると、対象となる傷や錆や罅、黴、擦れ、汚れ、剥げ、染み、凹み、不気味な痕跡、不思議な実在感、ボロい色の隙間と奥行きの空間、虚ろに見えるのも、ある感情が湧きおこり枯れていった、余韻なのかもしれません。
撮影した色々な年代の色々なメーカーのフィルムを、現像のプロセスでモノクロもカラーもネガもポジも全てをいかに混ぜるか、バリエーションが安定しないように、同じ結果にならないように、失敗も含め曖昧なイメージを写真にしたいと単純に思います。
また写真はイメージであって物質でもあります。乾燥したフィルム同士を詰め込んで、漂白し擦って剥がし溶け出し混じり合って浮かび上がる現象は、前後、左右、上下、表もあって裏もあります。それが写真の面白さでデジタルデータに変換しました。
そこには写真をデータ化する過程で、変化する瞬間、変化しつつ凝固したと考えるしかないと、同時にそれは自意識の変化も生じるべきものです。そう簡単に自意識や無意識はコントロールできませんが、そういった意識の変化の上で、また一枚の写真に向きあう時、確かにリアルに在ったあの空気が、何か、幻を見せられているようで、そわそわします。
森川健人
11日(火)から東京・日本橋茅場町のレクトヴァーソギャラリーにて。お近くにお越しの際は是非ご高覧ください。
【展示内容/インクジェットプリント、カラー】
Tuesday, November 4, 2025
......Osaka
月曜、文化の日。フィルムを干してご飯を食べて洗濯して、昼過ぎ自転車で南津守中央公園へ。日課(?)のリフティング開始……毎度イメージだけはバッチリで、再現性は…。当たり前ですが、ボールを足で扱うというのは普段の生活ではありえない動作です。考え始めるといいことはありません。
ボールコントロールが大きくなったり、思ったところにコントロールできなくて、あっち行ったりこっち行ったり、心地よい汗が気持ちいいです。そんなひとりサッカーで、オッと思うことがあります。
リフティング音「これはいい音」としみじみ。芯を捉えた、音。アスファルトを踏む、音。足下の石を踏んづける、音。足の甲に当る、音。つま先でつつく、音。ザラついた質感、音。 両足リフティング百回、なにがなんでも……というほどの目標でもないけど、達成できた日は気持ちよく、だんだん体が軽くなって来たところで終了。
続いて、近所の名村造船所跡地到着。何年かぶりに「キタカガヤフリー&アジアブックマーケット」へ。目の前のセブンイレブンに停めて、入口はいった瞬間、いきなり正面前方斜め上でふわふわ踊る全身銀色のシルバーさん(?)発見。気になってズーと斜め下から眺めていたら、お腹いっぱい胸いっぱい「今日はもういいや」と気が変わり帰りました。
夜、レコードを聴きながら、相変わらず私家版を破って貼り、線ばかり画いてます。何かを作るとかでもなくて、ただ「それ」をやってみています。写真を貼る、写真に画く、音楽を聴く、自分の中でどこか重なっています。
気分が乗らない時でも意識が散漫な時でも、サッカーボールを蹴っているうちに体が軽くなってきて「もうすこしいけるかも」と思えてくる、この感覚を仕事にも活かせないかと考えます。
Wednesday, October 29, 2025
......Osaka
火曜、昼休憩に住吉大社駅下の惣菜屋さんで日替わり弁当買って住吉公園到着。池のほとりにそって置かれた木製ベンチで昼食。涼しい。
夜、レコードをかけて、次の写真に取り掛かる前の準備運動みたいなコラージュ(足したり引いたり)開始……こないだ日本橋の中古レコ屋で100円が相場のチープなミドルスクールの12インチ1枚…だんだん胸の奥の方がモヤモヤしてきます…次ドローイング(落書き)……96年産一般的には"微妙スクール"とされてた年代のLP 800円と謎の音圧の高いEP 300円…ひさしぶりに買ったラップとファンクをかけて貼っても画いてもなんか気持ちがよくありません。
わたしには同じレコードや本を数百回くらい聴いても読んでも(捲っても)飽きない体質がありますが、反面、新しものにフィットするまで一寸時間がかかることも。はじめはピンと来なくても、ハズしたと判断したくなくて、そんな時は何百回か繰り返して無理矢理好きになります。
日頃の散歩、撮影(旅)にしても偶に知らない場所を歩くことはあっても、だいたい行き先は何パターンかでいつの間にか同じ道を歩いています。何度も同じ場所を撮っているのに、変わって見えることってあるんです。同じことをくり返す、一見、退屈に思えることの中にも何らかの面白味があるはずです。いつの間にかそんな風になってました。
Wednesday, October 22, 2025
......Osaka
火曜、昼過ぎ梅田到着。阪神百貨店で「熱視線」というイベントの最終日へ。会場では作家の熱い表現に押されるように作品が並んでいました。とにかくまずはジーと眺めて反応するか、パラパラ捲るしかありません。
とくにZINEに目が行きますが、ZINEは読むためだけじゃなくて、触ったり眺めたり作家が自分の表現を紙に閉じ込めています。 いろいろ眺めて、捲っているうちに(わたしのなかで)イメージが広がるものとそうでないものとがありました。
たかつか 著『じじいのキャップ』、ジーと表紙のドローイングを見ているとグッとくるものがあります。頁を捲る感触、チープな製本と余白、ラフさ加減がカルチャーの匂いです。本文は薄いようで濃ゆい、浅いようで深い「じじいのキャップ」のガイド的な1冊。
HAZUKI SHIMMURA 著 『壁2024』、壁シリーズの2024年ヴァージョン。このZINEに写っているのは対象です。ディテイルが立ち上がっているもの、細部が写っているもの、単なる記録写真ではなく、そこには記録という意義に制作意図が込められています。目の前の対象しか写さないという作者の信念がこの本を美しくしているのだと思います。
長本淳 著『猫城市』(九份・猴硐編) 、ホウ・シャオシェンの名作のロケ地周辺「以後の風景」に立ち会う感じになったり、完全に分離したりと様々な視点があり、被写体とカメラの距離感に最後まで惹きつけられます。
長本淳 著『猫街』(西成編)、ここでも被写体に引っ張られる、心地よさにいつまでも浸っていたい空気が定着しています。人が写ってない写真(集)なのに、とても人間を感じる写真集出版レーベル「moment」刊行の2冊。
帰り道の途中、いつものドトールの窓際席でひとり会議。今日の4冊を眺めながら、結局買おうと思う本はパッと見ただけではわからないものを一回知りたいというのと、やっぱり、「自分のなかに取り込みたい」と一寸でも思うもの、そんな感じなのかなと結論になりました。はい。
Sunday, October 5, 2025
......Nishinari,Osaka
来月のグループ展の準備をしています。膨大なブローニーフィルムの6×6判フォーマットのデータを前後左右上下裏表クルクル、反転、回転させながら自由な角度から見まわし試行錯誤しております。
わたしにとって効率が悪いというのは、制作に於いていいことだと思っています。色やトーンを出すにもモニターより紙が難しくて、紙で見るだけで不思議と一歩踏み出した気持ちになります。
今回展示する作品は、普通に暮らしている流れで、今日が来て明日が来てという流れ以外に、頭の中の流れというのがあって、「そういえば十年前あぁいうことがあったなぁ、」とか。「あと十年くらいしたら自分も変われるかなぁ、」とか。「でも、なんか色々あるなぁ、」とそういう感じの写真です。
自分がやってる写真はどこまでも誰かに理解されるとは思っていないから、でもだからこそどこかの誰かに届けばいいなと思ったりします。
Saturday, September 20, 2025
......Nishinari-ku,Osaka
Wednesday, September 3, 2025
...Tamade park ,Osaka
残暑。夕方、あれだけ賑やかだったセミの声はしなくなり、代わってサボりまくった公園のひとりサッカーをしれっと再開。気温はまだまだ真夏ですが、確実に季節は変わり行きます。
空気のぬけた蹴り甲斐のないサッカーボールでリフティングしている最中、汗が目に入って記憶が浮かんだり、誰かがあの場所は面白いと教えてくれた所へ行ってみたり、偶然の出会いはあっても自分から調べることは殆どなくなりました。
今も写真はずっと試行錯誤して、最近は写真にとっての現実性とは撮影現場で記録することだけでなく、本来は記録したイメージより具体的なフィルムの物質性を強調することで、かえって抽象度が高まっていくことに興味を持っています。硬く言うと。
これは写真だけに限ったことではありませんが、抽象と具象が逆転する感覚やバランス、そんなものの見方、考え方が好きです。イメージを抽象化する要因になる曖昧な記憶、反復する記録性、成りゆき任せの物質的現象、そういった状況をこれからも積極的に受け入れて行きたいです。
Saturday, August 23, 2025
......Takehara, Hiroshima
今年は一寸遅いお盆の墓参りをJRバス+広電(チンチン電車)…郷里広島では新しく駅構内から路面電車が出発するようになり、比治山下電停で降りて小高い丘(比治山)を登り放射線研究所の前の墓地に到着。汗だくで墓参りと墓掃除の後、気分爽快。付近の現代美術館とまんが図書館を移動してのんびり涼みました。
翌日は午前九時過ぎに宿を出て、広島駅から芸陽バス(かぐや姫号)+在来線(竹原〜吉名)で田舎の小舎(空家)の空気の入れ替えに向かいました。敷地内に植えた草木が(雑草も)驚く程スクスク伸び放題、 ここでも墓参り(猫のミーミ)をして気分爽快。
大阪への帰り道の吉名駅〜三原駅間の在来線の車窓からは海がよく見えます。この日は忠海から安芸幸崎間がとくにきれいでした。猛暑、この旅は暑さに負けてか?軟弱なわたしは思うように歩けませんでした。ちょこまか途中下車したい欲とひとつの場所にじっくりいたい欲は両立しません。
Monday, August 4, 2025
......Tengachaya Nishinari-ku
土曜夕方 、ギャラリー二等車。脇田耕二氏の『されどだけど』ストリートスナップの名手の個展に行きました。
まず展示でパッと目に入った写真は、被写体を中途半端なところで切っているフレーミングの作品です。普通撮った被写体はフレームに全部入れるんだろうけど、それ「説明」くさくなります。途中で切る。それも中途半端で切ってるところが「写真」の面白さなんだと思いました。写真家は面白いものを見つけ、被写体に引きづられて撮っているから面白いです。
あと写真展って一枚か二枚かっこいいのがあると、全体的にすごくよく観えること。バラバラはバリエーションとは云わないので、基本的なところを抑えつつバリエーションを意識するといいことも学びました。
そして写真(作品)はあまり溜めないで発表した方がいいよなと。発表しないでおくと自家中毒を起こし、写真が選べなくなります。いい写真を撮ることもなかなか簡単ではありませんが、それよりずっとモチべーションを維持しながら何十年も作品を撮り続けることの方が大変です。
Tuesday, July 22, 2025
......Tengachaya,Nishinari-ku
金曜昼過ぎ、天下茶屋のギャラリー『二等車』で河合止揚氏の写真展を観に行きました。撮影者が被写体に没入して同期しているかのような、撮影時のシャッター音がまるで聞こえてきそうな高度な白黒写真です。
こちらはただ観ているだけで気分が高揚してくる展示です。多分写真家は五感をフルに使い撮影することで、音や匂いを感じカメラが身体の中に侵入してきて、写真家自身はカメラと同期してくることを喜んで受け容れている様にも感じられました。
あと「大阪で撮るとき、大阪らしさが写っているかどうかは気にしない、そんなこと考えない…」と話された写真観も気になりました。わたしも作者の心情とか意図とかを抑えたほうが、得体の知れない面白いものに観えてきたりすることがあると思います。
Saturday, July 5, 2025
......Nagoya, Aichi
七月二日水曜から名古屋に行ってきました。思い返すと名古屋は約三十年ぶりでした。記憶では京都に住んでいた十代最後の年、当時暮らした上賀茂のアパートからバスと電車を乗り継ぎ、栄に在ったクラブまで竹村延和のDJを聴くためだけに訪れたトンボ帰り以来です。
今回の旅(誕生会も兼ねて)は難波から初めて近鉄特急の火の鳥に乗りました。せっかく三十年ぶりに来たんだから、いろいろなところに行ってみたい、歩いてみたいと思っても、夏の陽差しと空気。動き回る体力がない、と怠ける言い訳か、そうはならないのが現実です。
ただ名古屋駅前のホテルにチェックイン前、撮影しに行った九番団地(ブラジル団地)は印象的で、たとえば建物や壁、路面や看板やブラジル人、、、偶然、見慣れたような光景、なんでもいいです。ふとしたタイミングでそれらに接するとき、ぺタっと吸い付くような感触を覚えました。
この撮影してからの写真も、これからフィルム現像の過程で、露出不足、白飛び、現像ムラ、定着不足、水洗不足、画面上の傷、ホコリ、ベコベコにうねったフィルムを直接手で触りながら、決めていく感じです。ある程度の決まったプロセスはありますが、結局何をどう云いくるめようが、なんらかの必然性のない「もの」や「こと」は終息に向かっていきます。そのことだけはずっと信じられます。
Tuesday, June 10, 2025
……Osaka
Saturday, May 17, 2025
......Tsuruhashi,Ikuno-ku
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Sunday, April 27, 2025
......Nishinari,Osaka
先月、二週間ほど台湾に滞在した後”台湾”のフィルムをまだまだ一寸づつ現像しています。全く台湾らしい光景ではなくても、自分が歩いた台湾を思い浮かべ、その情景の匂いのようなものを、思い出しながら作業を進めています。なぜか新竹の竹東(ジュートン)の街が頻繁に頭の中にあります。
自分にとってフィルムと云う記録媒体は、無意識の領域を刺激するには適していると思います。短期間の外国へ行った後とか、意識している、していないにかかわらず、一気に自分の中に入り込んだ様々な情報で混乱してぼやけてしまった部分を徐々に落ち着かせる手段として、撮影済みフィルムを現像して漂白してデータにして見ていくと気持ちが楽になります。なので見たものを正確に写し撮ることではありません。
そうして、本当の無意識は中々むつかしく出来なくても、無意味なら近づけるんじゃないかと思います。ついつい意味があることがいいんだと、当たり前のように思い込んで、だけど意味はなくても全然いいんじゃないかと。意味や価値をそぎ落とし、好き嫌いをなくしたところに、面白さはないか、面白くしたいです。
Saturday, April 12, 2025
......Kyoto
ひとりサッカーの日課は、今月に入って実行率六、七割と云ったところ。先月は旅にも出たりでサボり気味です。最近は高尺フェンスとバックネットの在る西成高校横の西成公園でキックの練習も始めました。(全くキック力ありません…)
先週日曜、誕生日に京都へ遊びに行きました。錦市場近くの自転車屋で”Tokyo Bike"をレンタルしました。どこに行くか決めず、身体にまかせる…と云いつつ、だいたい鴨川沿いを北へ北へ向かうお決まりコースを漕いでしまうのですが、それもまたよし。と花見客あふれる鴨川べりに座ってサンドウィッチ、住宅街に逸れて古本屋、古着屋、御所でトイレ、京都グラフィー関連のギャラリー、旧ガケ書房のホホホ座、、、鴨川沿いに戻って、北山にかけての西岸沿いに腰掛け珈琲と一緒に誕生日ケーキ、そんな一日を自転車でブラブラしていました。
途中、京都の街で、とてつもなく刺激を受ける場所に偶然出会うこともあります。それは、いつも通い慣れた大阪の路上を意味もなく横に逸れたりした時に出くわすことがあるように。
いろいろな都市や町を訪れる機会はありましたが、そこを少しはずれるだけで、まだまだとんでもないものがあると云う単純な事実、そして好奇心の大切さを思い知らされます。
Saturday, April 5, 2025
......Taiwan
Tuesday, March 11, 2025
......Nishinari,Osaka
人は様々な理由で旅に出ますが、自分にとって旅の必需品、それは今も昔も簡単な筆記用具とカメラ、フィルム。これだけあればたいていの退屈な時間からは解放されます。
絵は昔から全く下手で、でも実は描きたいと云う気持ちだけは人一倍強かったです。だけど描けば描くほど似てなかったり、あの頃(子供の頃)は模写の時代って云うか、わたしの絵はあまりにも似てないってことで、後ろめたさや負けた味わいがずっとありました。
その点、写真は誰でも押せば絵になります。旅先では風光明媚なスポットや観光地には殆ど興味が湧かず、ボロボロに崩れかけたビルの壁、放置された段ボールの佇まい、草臥れたオジサンの後ろ姿、見た瞬間スッと心に入り込む得体の知れない何かの塊(カタマリ)に反応しています。
見たモノを正確に記録したり、見た光景を理解しようとすることでは全くありません。目の前の空気や佇まい、気配と云ったものを感じフィルムに落とし込むこと。進行形の状態で「カタチ」をできるだけ画き込み、貼ること。それらが自分にとって旅先では一番重要になります。
それは見ることと共に音、気温、湿度、匂い、風、光それらのすべてが絡み合います。稀にそれらすべてが身体に入り込んでしまったような感覚を味わい、これが「旅と時間」、「写真と自分」の関係にもすごく似ていて堪りません。旅の前日カバンにカメラとフィルム、筆記用具を詰め込む時、いつもそんなことを思います。
Sunday, February 23, 2025
......Tamade,Nishinari-ku
日曜、寒い。日課のリフティングは目標の回数未満の日が続いていますが、街の中をうろうろして、好きなカメラで好きなように撮ることは変わらず、続いていっています。
この数年はいろんなフォーマットのカメラで撮っています。最近はローライコード6×6と併用してローライフレックス4×4(ベビーローライ)と云う二眼レフカメラで127サイズ(ベスト判)フィルムでも撮りはじめてみました。
このベビーローライ久しぶりのカメラ萌えじゃないですけど、かわいくてしょうがないです。でもたぶん、私は同じところを行ったり来たりしてるだけで、実際にはカメラとか技術が変わってるだけで、変われない、って云う感じはするんです。
あの手この手を使いながら、これからどうなって行くんでしょうか。わかりません。昨日言っていた事と今日言っている事が一寸違っていても、自分の中で些細なことをどれだけ盛りあげることができるか、正解なんてないですから。
Sunday, February 9, 2025
......Nishinari Community Center
日曜、雪がチラチラの昼過ぎ。近所の区民センターへ大好きなラッパーの恒例ライブ『元気です西成2025』に向かいました。相変わらず堂々と西成節をキープオン。
最近は晴れの日一万歩、雨の日五千歩の習慣が、いつの間にかリフティングとドローイング、時々撮影(現像)の日常にシフトしてループオン。
子供の頃、絵(落書き)やスポーツ(サッカー)、音楽(レコード)に普通に興味を持ち、そのあと何となく興味を持った写真の道に進んだわけですが、単純に写真を撮ることだけに自分のおおかたの満足が得られる道筋があったなら、もう少し気分的に通りのいい日常を送っていたのかもしれません。
だけど、いつしか自分の好奇心はそう簡単に写真だけを能天気に撮っているだけでは一寸満足のゆかない領域にも突入してしまったことも事実だと思います。
また以前は失敗だと思っていたものが保留の時間を経て、あらためて見返していくと、この失敗だと思っていた落書きやサッカー、レコード、フィルム、プリント、そのものが今のスイッチとなり、何かつくりたくなる原動力になっていると感じます。
Thursday, January 30, 2025
......Tamade Park
一月。公園でひとりサッカーもだいぶ慣れてきました。年末にアディダスのサッカーボール五号球(パキスタン製)を手に入れてからは、仕事終わり夕方から近所の公園に寄って、一時間一寸ボールを蹴っています。運動はお天気にも左右されますが、大体この一ヵ月間は週休二日をキープオン。
全くいい加減かつ往生際の悪い云い方をすれば、久々に本当何十年以上経った今、このサッカーのボールをひとり壁面に向かって蹴っていると時々「何を自分はココでしているんだろう?」と奇妙な感覚に陥ることもあります。
五十に手が届くおじさんになった今、大阪の片隅の公園の地面の出っぱりにつま先を引っかけて転びそうになりながら、「俺は上手くないんだからいっぱい蹴って、下手なんだからびっちり蹴っていれば……」 イメージだけのかつて日常だった過去と現在がガッと混じり合うような気分になってボールタッチ。
いつもどんな気分になろうと、ひとつのモノを見続けていると、いつしか視点のほこ先がこちらの思いを越した内側に向いていることもあり、奇妙な感情や行動が見え隠れする瞬間があります。そして過去と今の時間が様々な方向へ飛び散るような不思議を思います。
ただボールを蹴る、ボールに触るだけで楽しい、と云うこと。それだけなんですが、サッカーこれから上手くなりたいおじさんのつぶやきでした。
Sunday, January 5, 2025
......Minamitsumori Central Park
そんなことをあれこれしながら、また「余白」でなく画き(貼り)こむだけ画き(貼り)こみ、画く(貼る)場所がなくなったら画いた(貼った)上からさらに画き(貼り)こんでいくドローイング(コラージュ)をやっていました。
ドローイングやコラージュをやることによって、重なり合う意味不明な線(形)を段々と自由に見れるようになって、写真も変化してきました。
その時々の関心で写真も変わるように、今はコラージュとドローイングに興味が移っているけど、今年はどうなるのか。その日、自分がなにを見ているか、予想もつかないところも写真の面白さだと思います。
新年の抱負なんてなかなか浮かばないけど、ふと二十年ぶりに思い立ってサッカーボール五号球を蹴ってみたら、泣きたくなる程下手くそなので、今年は今より少しは綺麗なリフティングを、壁に絶妙なパスを、蹴れるよう挑戦(練習)してみようと思います。そして、とりあえず一年無事に過ごせるといいなと。 はい。
Tuesday, December 31, 2024
......2024
火曜、大晦日。クリスマス以降は北浜のFOLK old book storeで開催されていたスーパーハイパースぺイシーのともさんCAPをプレゼントでもらい、その後は忘年会や飲み会とかはいっさいお誘いがありませんので、まあ暇、暇でもないんですが、のんびり年末を過ごしています。
ふと、一月から順番に今年の記憶をふり返ってみても、ざっくり云えばやや迷走気味で、健康状態は割と良く充電の年だったと前向きに考えることにします。最近は、無理せず怪我せず疲れを溜めず、手の届きそうにない欲求はあきらめ、静かに暮したいと、若い頃にはこんな平穏を望む人間になるとは思っていませんでした。
今、望むことは単純に普通に暮らしていくこと、自分ができる仕事を続けて生きていくこと、以外は望んでないです。あと好きな外国の路上に一寸行けて、歩いて撮れたらいいなと思うくらいで、いつもそんな気持ちには変わりありません。
結局それしかできないから、いつかどこかで偶々でも自分の作品を観てくれる人がいたら、なるべく好きに観てくれるように(メッセージはない)、本人の意図から離れれば離れるほど面白くなっていくように、同じようなことを淡々と積み重ねていきたいです。
2024年ありがとうございました。よいお年を。
森川健人
Friday, December 13, 2024
......Nishinari-ku
Sunday, December 1, 2024
......Nihonbashi,Tokyo
Art photograph group show (2024 November)に参加しました。ありがとうございました。
今回展示した新しいシリーズ"the versions"は観る人が題名に引っ張られることがないように、出来るだけフラットな言葉でなるべく具体的な情報を入れないようにこのタイトルにしました。観る人がどう考えるかが今の自分にとっては重要だと思っているからそうしました。
なんで自分自身そう云うことをしているのかは説明出来なくても、明らかにモチベーションがあってやっている感じです。自分が面白いと思っていて、コレが写真かどうかはわからなくなる時があり、自分でもわからないってところがすごく重要で大事だと思っています。
わからないことは面白いことなので、繰り返し歩いたり撮ったり、わたし自身もわからなくてやっていることが、いつかわかって説明が出来るようになると、そこでモチベーションがなくなりそうです。なので方法とか過程の説明は出来ても「わたしの作品はこうなんです」って説明は出来なくて、結局説明出来ないから写真にしています。
森川健人
I participated in the Art photography group show (November 2024). Thank you very much.
The new series "the versions" that I exhibited this time is clearly motivated, even if I can't explain why I do it.
I find it interesting, and there are times when I don't know if it's a photograph, and I think it's very important and valuable that I don't know myself.
Not understanding is interesting, so when I walk and take pictures over and over again, and one day I understand and can explain what I'm doing without even understanding it, I think my motivation will disappear. So even if I can explain the method or process, I can't say "this is what my work is like," and in the end, I take photographs because I can't explain it.
Kento Morikawa


















































