(つづき……)
池袋に出て要町へ。十九年ぶりに熊谷守一美術館。私はこの人の作品が小さいのがいいと思ってきました。なんでかと言うと、東京で暮らした二十代の十年間、この美術館の近所で暗室用に四畳のアパートを借りていました。当時も、なにかにつけて「でかいもの」って言うことがあって、写真でもでかいプリントじゃないと展示できないギャラリーがありました。だけど、限られた東京のアパートの中で暗室作業をしている自分がでかく写真を伸ばすのは矛盾してるんじゃないかと。それで、自分の作品はどんどん小さくなっていきました。
そうすると「エネルギー」がない「パワーダウン」してるとギャラリーの人に言われた思い出があり、それは今も(大阪でも)続いていますが、まあ一貫していると言えば一貫してるのかも知れません。結局は、自分がやれることしかできないですから。久しぶりに熊谷守一作品、一、二階の常設展示六十点程の油絵、墨絵、書、オイルパステル、陶磁器を眺め、余韻を生じさせる熱々の珈琲を飲みながら改めてそんなことを考えました。特に好きなのは『月』と『夕暮れ』という作品です。
翌日、東銀座のIG Photo Galleryで原美樹子 展『果実がうれておちるときを』先日ギャラリーのYouTubeで拝見し気になって、実際に足を運んでみました。6×6フォーマットのストリートスナップとランドスケープの境界線を行ったり来たり。基本的に、カメラが被写体に寄るというより、被写体がカメラに寄る瞬間があって、そこがなかなか見ものです。写真としての作り込みがないというか(のように感じる)本当は、このくらい作り込まずにものが言えればなと。私はすぐフレームを意識し過ぎて、どうしても形にしたいと、でも本当はこういうものでありたいって気がします。在廊されていた写真家の自然体なお人柄や姿勢からも学ぶべきこと多いと思いました。
そのあと、銀座の東京画廊+BTAPで入江早耶 展『カガヤク日常ノ微塵』2Dのイメージを消しゴムで消して、その消しカスを用いて3Dの塑像を独自の手法で作り続けるアーティストの個展。十年以上前、広島に在った広島芸術センターで初めて個展を観たときから、その後何度か作品を観る機会があって、いつも印象に残るのは音が聞こえない気がすることでした。それがなんか、ものを作る人の創造的な部分だと思うんですが、誰も聞いてない音を聞いているようなところがあるんじゃないかと。で、今回の展示は三十点も作品が並び饒舌、静かなんだけど口数は多い。そういうのが全部まとまって、なんか作品の中にエモーショナルなものとストイックなもの両方あるって感じでした。そこに入り込んでいくて、フィクションであるとわかりつつも圧倒的なリアリズム。
エレベーターでギャラリーを降りて、歩きながら「……ニンニク…ダイコン……」—青森弁の響きが、東京駅に向かう途中もずっと耳から離れませんでした。
