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Wednesday, May 6, 2026

......Nishinari,Osaka


相変わらず、散歩してフィルムを触って、写真を貼ってはがして…平穏をありがたいと思います。先のことを考えるのが得意ではないので、将来の悲観はあまり言葉にしたくありません。連休中、どこへ行っても人が多いので、その日の気分で北加賀屋や阿倍野辺りの「近所」を歩きちっとも撮影ははかどりませんでした。ぐうたらして、不貞腐れて、ときどき何もかもいやになり、無意味で無駄に感じる時間を過ごすことがあります。

写真は基本ハズしてハズしてまたハズして(といってアタりがなにかいえません)、写真だけの話しではありませんが、いつもそこからカンが養われるので、失敗なしなんて虫がよすぎます。好きな仕事をして、しかしほんとうに好きなようにしていると、それはそれで次々と難しい問題も出てきます。自分のほうから難しい方向へ進んでいってしまうといったほうがいいかもしれません。

作業部屋で何をつくるか、どうつくるかといったことにしても自分の感覚で選んでいくしかありません。開き直るわけじゃないけど、その感覚が間違っていてもいいです。間違っていると自分でわかる前に修正してしまうのはよくないと。人に言われてすぐ修正する癖が身についてしまうと、自分のやりたいことがわからなくなるので。

そんな時、逃避の散歩に行きたくなる街があるように、聴きたくなるレコードがあります。これまで生活してきた中で、ずっと変わらず心に残っているレコードはありがたいなあ、と思います。ネットやデータで音楽を聴くことも多いですが、レコードをかけます。そんな時に思うのは、実際にジャケットを手に取って盤を取り出し、針を置いてパチパチ音を出すという行為は、やっぱり気持ちが乗るし、明日か明後日くらいの活力につながります。

Thursday, April 9, 2026

Tengachaya/Ichijyoji



 日曜日、昼過ぎ天気がいいので西成散歩。風もなくおだやかな天気。紀州街道沿いの天下茶屋公園(日課のリフティング場のひとつ)いつになく花見で人がたくさんいます。ベンチで桜を眺めながら人間ウォッチング。それから駅ロータリー前のヘアカット専門「MAX」(1000円)という床屋に寄って、前と横と後ろを水平に切ってもらいました。わたしのこのヘアスタイルはここ何年同じなので、チョンチョンチョン、ハイオワリーで五分とかかりません。我ながら頭に関しても安上がり。


月曜日、誕生日は晴れ。京都の藤森へ。淀屋橋駅で「米屋のおにぎり屋」おかか、昆布、玄米にぎり、紅鮭を買ってから京阪で墨染駅、そこからJR藤森駅まで墨染(すみぞめ)通りの緩やかな坂を一寸歩きます。良い名前の通り。晴れていて伏見桃山城と駅横で見つけた野菜の自動販売機(ロッカー型)で売っていたキャベツがきれいでした。

藤森駅からくいな橋へ。京都駅で地下鉄に乗り換えて、くいな橋駅到着。竹田久保町周辺をパトロール開始...屈み書房?等々チェック、鴨川にかかる水鶏橋を渡り国土交通省運輸局をバックにベンチで桜を見ながら食事(おにぎり)して一乗寺へ。

出町でチン電に乗り換え三つ目。「遠藤珈琲店」のアンプ前特等席でエチオピア珈琲とチーズケーキで誕生日おめでとう、心のこもった空間でした。「マヤルカ古書店」、「恵文社」、「萩書房」臨時休業の張り紙、イズミヤショッピングセンター三階マッサージチェア(十五分、三百円)×2してボーとしてたらもうこんな時間に。アルザス地方の料理が食べれる「アルザス」はラストオーダー時間に間に合わず残念、代わりに向かった一乗寺ラーメン街道(東大路通)の「珍遊」中華そばに甚く感動。

夜、日付が変わった時間、去年の誕生日も鴨川で桜を見たなあ云々の記憶がいろいろ浮かび、また酒をのみました。

Wednesday, March 25, 2026

......Tengachaya/Kyoto

 


季節の変わり目だからか、寒いのか暖かいのか。いい作品集を眺めると、お前も一つどうだ、とそそのかすようなところがあって、本の内容と関係ないイメージがいろいろ浮かんできます。

三月二十一日、夕方六時ごろ、天下茶屋駅。写真家の脇田氏と簡単なミーティング。作品や展示の話より「いっしょになにかやることはあるか、ないのか。存在するのか、しないのか。せっかくならなにかやることはないか、なにかできたらおもしろいよね(企画)、遊びの場としての写真活動云々-」その後は歩いて近所の写真ギャラリー二等車で河合止揚氏の個展初日へ『97年中国雲南省昆明留学日記vo.2』観ました。


日曜日、午前九時ごろ、宇治の小倉周辺をウロウロ開始。これは気になる、これは興味ない、と余計なものも見えてきます。なんか歩きながらザルにかけてふるいにかけている感じ。次は近鉄電車で京都駅(観光客多さに慄く)経由、夷馬場町付近の古民家空き家地帯で立ち止まりました。アラブ系屈強男性集団がデカいバンを停めて廃墟風長屋に引越しの最中。五つの薄汚れたマットレス等を室内に乱暴な流れ作業で投げ入れる姿に「なにかのアジトかしら?」ワクワクしてきます。JR梅小路京都西駅前「志津屋」窓際席で珈琲とサンドイッチ。

夕方、地下鉄烏丸線くいな橋駅にたどり着きました。駅を出ると左手すぐ水鶏(くいな)橋を京都拘置所方面に渡り、観光地でない鴨川沿いをひたすら散歩。気分は最高…金八先生?カモ、サギを眺め......撮影した対象のディテイルや表情だけじゃなく、もっと漠然とした場における、気分というか曖昧な空気感、気配、ニュアンスが残るようなものを。ただ今現在、写真を視覚的情報だけに頼って撮っているんじゃないことがだんだんわかってきます。結構、抽象的になっていることも。ただ自分の見た視覚以外で写真を撮る要素は全然あると思っていて、視覚以外の要素を写真で表現したくなる年ごろです。はい。

Saturday, January 31, 2026

......Tengachaya,Osaka




風が冷たい。寒さに強くなくて、でも冬の晴れた日の澄んだ空気が心地よいです。日々の散歩もリフティングも愛用にしているアディダス・ムンディアルのスニーカーは寒い日に強く足の裏が冷えません。昔から、音楽を聴いたり、本を読んだり、絵を観たり……それはなんだっていいのですが、自分がいいと思うものに出くわすと眼の裏側(あたりのどこか)がピリピリ痺れる感覚がありました。当たり前すぎて特別な感覚と思ったことはなくて、誰にでもそういうことはあるだろうと思っていました。

だけど三十歳あたりから、その眼のピリピリが減ってきました。たぶん、仕事や周りの人間関係いろいろ自分の感情を制御して、おもしろいと思うことがあっても、「今それどころでないよ」とブレーキを踏む。それを繰り返しているうちに感覚は鈍ってきました。あたり前だと思っていた感覚がなくなりかけて、はじめて大事な感覚だったことに気付きます。そこはブレーキを踏まず、嫌なことは我慢せず、やりたいことをやっていないと眼が痺れるかんじは消えてしまうということがわかりました。

といっても、やりたいことばかりやって暮らしていけるわけではなく、今だって、それなりに我慢しながら生活している筈です。が歳をとるにつれ、いろんな感動に免疫みたいなものができて、一寸やそっとではいいと思わなくなります。そのへんを踏まえつつ、昔のように眼の裏側がピリピリする感覚をとり戻せないものかと、ずーっと試行錯誤を重ねているうちに、ここ数年一寸づつ復活してきた気がします。


土曜。昼過ぎ天下茶屋の写真ギャラリー二等車で脇田耕二氏の個展。昨年の夏に二等車で見た以来です。何年か観続けている写真家で、今回の展示『されどだけど2』軽くてよかったです。バリエーションが安定しないような、色々な同じイメージにならないような、写真の流れが個々違うように、反応が同じようにならないように、それをギャラリーの空間に15点、似たようで違うストリートスナップが並んでいました。今回ピントが合ってない写真が大分いいと感じました。

一貫してストリートスナップをモノクロームで撮り続けている写真家です。作家自身のクセとか特定のルールがそこに出てきて、そのルールがなんとなくわかってくるのですが…ギャラリーの壁上にセレクトした断片(作品)をどう並べたのか、その解いた答えは一つとは限らないので、順番と距離、光の角度で印象は変化します。「私が撮りました」っていう人とは違い、「カメラが撮っているんですよ」っていう、そこも写真家のリアリティーだと思います。

写真もアートも特定の誰々を継続して観ていると面白いです。月日を経ることで見えてくるものがあります。そして自分自身(鑑賞者)の興味も一寸づつ変わっていることに気付きます。

Sunday, January 4, 2026

......From my room,Osaka

 



年末年始は大阪でのんびり過ごしました。大晦日は紅白、ぐるナイ年越しおもしろ荘、、、テレビを見るのは春夏の高校野球の季節と正月くらいになりました。たまにテレビを見ると、若い出演者や芸人、コマーシャルに出ている人がわからない。生きている人か死んでる人か、わからなくなってきています。

年明けはスポーツ中継、座王 新春SP、あとは家の人お勧めの韓国(ホラーとか)映画をアマゾンプライムで。絵と音楽は好き嫌いはっきりしているけど、映画の好みは定まっていません。気がつくとこの何年映画館は数えられるくらいしか行ってなくて、台湾や中国の映画から何人か「いいな」と思った監督がいるけど、惚れ込むところまではいっていません。映画を見ていると、いい気分転換になります。スポーツもそう。

その後あいかわらず写真ばかり貼っています。意識が散漫なとき、撮影したフィルムと私家版の頁をやぶります。何かを切り取るとかでもなく、ただ重ねてみます。写真を貼る、線を画く、音楽を聴く、自分の中でどこか重なっていて、惰性といえば惰性ですが、惰性を身につけてよかったと思えます。どれだけとっ散らかっても、いつか自分の中でつながるから。やる気が出ない、それでも続いていくこと。今年も楽しみです。

Tuesday, November 4, 2025

......Osaka

 



月曜、文化の日。フィルムを干してご飯を食べて洗濯して、昼過ぎ自転車で南津守中央公園へ。日課(?)のリフティング開始……毎度イメージだけはバッチリで、再現性は…。当たり前ですが、ボールを足で扱うというのは普段の生活ではありえない動作です。考え始めるといいことはありません。

ボールコントロールが大きくなったり、思ったところにコントロールできなくて、あっち行ったりこっち行ったり、心地よい汗が気持ちいいです。そんなひとりサッカーで、オッと思うことがあります。

リフティング音「これはいい音」としみじみ。芯を捉えた、音。アスファルトを踏む、音。足下の石を踏んづける、音。足の甲に当る、音。つま先でつつく、音。ザラついた質感、音。 両足リフティング百回、なにがなんでも……というほどの目標でもないけど、達成できた日は気持ちよく、だんだん体が軽くなって来たところで終了。


続いて、近所の名村造船所跡地到着。何年かぶりに「キタカガヤフリー&アジアブックマーケット」へ。目の前のセブンイレブンに停めて、入口はいった瞬間、いきなり正面前方斜め上でふわふわ踊る全身銀色のシルバーさん(?)発見。気になってズーと斜め下から眺めていたら、お腹いっぱい胸いっぱい「今日はもういいや」と気が変わり帰りました。

夜、レコードを聴きながら、相変わらず私家版を破って貼り、線ばかり画いてます。何かを作るとかでもなくて、ただ「それ」をやってみています。写真を貼る、写真に画く、音楽を聴く、自分の中でどこか重なっています。

気分が乗らない時でも意識が散漫な時でも、サッカーボールを蹴っているうちに体が軽くなってきて「もうすこしいけるかも」と思えてくる、この感覚を仕事にも活かせないかと考えます。

Sunday, October 5, 2025

......Nishinari,Osaka

 


来月のグループ展の準備をしています。膨大なブローニーフィルムの6×6判フォーマットのデータを前後左右上下裏表クルクル、反転、回転させながら自由な角度から見まわし試行錯誤しております。

わたしにとって効率が悪いというのは、制作に於いていいことだと思っています。色やトーンを出すにもモニターより紙が難しくて、紙で見るだけで不思議と一歩踏み出した気持ちになります。

今回展示する作品は、普通に暮らしている流れで、今日が来て明日が来てという流れ以外に、頭の中の流れというのがあって、「そういえば十年前あぁいうことがあったなぁ、」とか。「あと十年くらいしたら自分も変われるかなぁ、」とか。「でも、なんか色々あるなぁ、」とそういう感じの写真です。

自分がやってる写真はどこまでも誰かに理解されるとは思っていないから、でもだからこそどこかの誰かに届けばいいなと思ったりします。

Saturday, September 20, 2025

......Nishinari-ku,Osaka




季節の変わり目。暑さは一寸和らいできましたが、相変わらず湿度はあるし、風の通りのよい道を選んで歩いています。

ところでこの三、四年くらいインスタグラムをずっと投稿しています。思えばコロナ禍だった時分、しばらく海外に行けそうにないから、うずうずして過去十年くらいの旅した折のネガやプリントを握りしめ、今更ながら(当時としても大分遅い)スタートしたアカウントは、明確な理由もよくわからないまま続いていっています。

基本的にインスタはイメージを見たい(誰かの)、見せたい(自分の)、でよいのにすぐ「自分だけのものの見方を持たなくてはいけないのか」とか 「そのことにすら気付かなくなってもいいのか」とか嫌な意識が出てきます。そもそも自分だけの視点や考えなんてあるのでしょうか。

一見ものすごく斬新に思えるイメージや作品もたいていは元ネタがあるはずです。教科書の一つもあるのでしょうか。どんな影響の受け方をするかも個性なのかもしれません。結局、「正解」がない世界のことをやっていて、一寸時間をかけてようやく辿り着いた自分の「正解」ですら壊したり崩したりの連続です。でもこれが面白いもので、なかなか難しいものだということを身をもって感じます。

Wednesday, September 3, 2025

...Tamade park ,Osaka



残暑。夕方、あれだけ賑やかだったセミの声はしなくなり、代わってサボりまくった公園のひとりサッカーをしれっと再開。気温はまだまだ真夏ですが、確実に季節は変わり行きます。

空気のぬけた蹴り甲斐のないサッカーボールでリフティングしている最中、汗が目に入って記憶が浮かんだり、誰かがあの場所は面白いと教えてくれた所へ行ってみたり、偶然の出会いはあっても自分から調べることは殆どなくなりました。

今も写真はずっと試行錯誤して、最近は写真にとっての現実性とは撮影現場で記録することだけでなく、本来は記録したイメージより具体的なフィルムの物質性を強調することで、かえって抽象度が高まっていくことに興味を持っています。硬く言うと。

これは写真だけに限ったことではありませんが、抽象と具象が逆転する感覚やバランス、そんなものの見方、考え方が好きです。イメージを抽象化する要因になる曖昧な記憶、反復する記録性、成りゆき任せの物質的現象、そういった状況をこれからも積極的に受け入れて行きたいです。

Monday, August 4, 2025

......Tengachaya Nishinari-ku




土曜夕方 、ギャラリー二等車。脇田耕二氏の『されどだけど』ストリートスナップの名手の個展に行きました。

まず展示でパッと目に入った写真は、被写体を中途半端なところで切っているフレーミングの作品です。普通撮った被写体はフレームに全部入れるんだろうけど、それ「説明」くさくなります。途中で切る。それも中途半端で切ってるところが「写真」の面白さなんだと思いました。写真家は面白いものを見つけ、被写体に引きづられて撮っているから面白いです。

あと写真展って一枚か二枚かっこいいのがあると、全体的にすごくよく観えること。バラバラはバリエーションとは云わないので、基本的なところを抑えつつバリエーションを意識するといいことも学びました。

そして写真(作品)はあまり溜めないで発表した方がいいよなと。発表しないでおくと自家中毒を起こし、写真が選べなくなります。いい写真を撮ることもなかなか簡単ではありませんが、それよりずっとモチべーションを維持しながら何十年も作品を撮り続けることの方が大変です。

Tuesday, July 22, 2025

......Tengachaya,Nishinari-ku

 



金曜昼過ぎ、天下茶屋のギャラリー『二等車』で河合止揚氏の写真展を観に行きました。撮影者が被写体に没入して同期しているかのような、撮影時のシャッター音がまるで聞こえてきそうな高度な白黒写真です。

こちらはただ観ているだけで気分が高揚してくる展示です。多分写真家は五感をフルに使い撮影することで、音や匂いを感じカメラが身体の中に侵入してきて、写真家自身はカメラと同期してくることを喜んで受け容れている様にも感じられました。

あと「大阪で撮るとき、大阪らしさが写っているかどうかは気にしない、そんなこと考えない…」と話された写真観も気になりました。わたしも作者の心情とか意図とかを抑えたほうが、得体の知れない面白いものに観えてきたりすることがあると思います。

Sunday, April 27, 2025

......Nishinari,Osaka

 



先月、二週間ほど台湾に滞在した後”台湾”のフィルムをまだまだ一寸づつ現像しています。全く台湾らしい光景ではなくても、自分が歩いた台湾を思い浮かべ、その情景の匂いのようなものを、思い出しながら作業を進めています。なぜか新竹の竹東(ジュートン)の街が頻繁に頭の中にあります。

自分にとってフィルムと云う記録媒体は、無意識の領域を刺激するには適していると思います。短期間の外国へ行った後とか、意識している、していないにかかわらず、一気に自分の中に入り込んだ様々な情報で混乱してぼやけてしまった部分を徐々に落ち着かせる手段として、撮影済みフィルムを現像して漂白してデータにして見ていくと気持ちが楽になります。なので見たものを正確に写し撮ることではありません。

そうして、本当の無意識は中々むつかしく出来なくても、無意味なら近づけるんじゃないかと思います。ついつい意味があることがいいんだと、当たり前のように思い込んで、だけど意味はなくても全然いいんじゃないかと。意味や価値をそぎ落とし、好き嫌いをなくしたところに、面白さはないか、面白くしたいです。

Saturday, April 12, 2025

......Kyoto

 


ひとりサッカーの日課は、今月に入って実行率六、七割と云ったところ。先月は旅にも出たりでサボり気味です。最近は高尺フェンスとバックネットの在る西成高校横の西成公園でキックの練習も始めました。(全くキック力ありません…)

先週日曜、誕生日に京都へ遊びに行きました。錦市場近くの自転車屋で”Tokyo Bike"をレンタルしました。どこに行くか決めず、身体にまかせる…と云いつつ、だいたい鴨川沿いを北へ北へ向かうお決まりコースを漕いでしまうのですが、それもまたよし。と花見客あふれる鴨川べりに座ってサンドウィッチ、住宅街に逸れて古本屋、古着屋、御所でトイレ、京都グラフィー関連のギャラリー、旧ガケ書房のホホホ座、、、鴨川沿いに戻って、北山にかけての西岸沿いに腰掛け珈琲と一緒に誕生日ケーキ、そんな一日を自転車でブラブラしていました。

途中、京都の街で、とてつもなく刺激を受ける場所に偶然出会うこともあります。それは、いつも通い慣れた大阪の路上を意味もなく横に逸れたりした時に出くわすことがあるように。

いろいろな都市や町を訪れる機会はありましたが、そこを少しはずれるだけで、まだまだとんでもないものがあると云う単純な事実、そして好奇心の大切さを思い知らされます。

Tuesday, March 11, 2025

......Nishinari,Osaka



人は様々な理由で旅に出ますが、自分にとって旅の必需品、それは今も昔も簡単な筆記用具とカメラ、フィルム。これだけあればたいていの退屈な時間からは解放されます。

絵は昔から全く下手で、でも実は描きたいと云う気持ちだけは人一倍強かったです。だけど描けば描くほど似てなかったり、あの頃(子供の頃)は模写の時代って云うか、わたしの絵はあまりにも似てないってことで、後ろめたさや負けた味わいがずっとありました。

その点、写真は誰でも押せば絵になります。旅先では風光明媚なスポットや観光地には殆ど興味が湧かず、ボロボロに崩れかけたビルの壁、放置された段ボールの佇まい、草臥れたオジサンの後ろ姿、見た瞬間スッと心に入り込む得体の知れない何かの塊(カタマリ)に反応しています。

見たモノを正確に記録したり、見た光景を理解しようとすることでは全くありません。目の前の空気や佇まい、気配と云ったものを感じフィルムに落とし込むこと。進行形の状態で「カタチ」をできるだけ画き込み、貼ること。それらが自分にとって旅先では一番重要になります。

それは見ることと共に音、気温、湿度、匂い、風、光それらのすべてが絡み合います。稀にそれらすべてが身体に入り込んでしまったような感覚を味わい、これが「旅と時間」、「写真と自分」の関係にもすごく似ていて堪りません。旅の前日カバンにカメラとフィルム、筆記用具を詰め込む時、いつもそんなことを思います。

Sunday, February 23, 2025

......Tamade,Nishinari-ku

 


日曜、寒い。日課のリフティングは目標の回数未満の日が続いていますが、街の中をうろうろして、好きなカメラで好きなように撮ることは変わらず、続いていっています。

この数年はいろんなフォーマットのカメラで撮っています。最近はローライコード6×6と併用してローライフレックス4×4(ベビーローライ)と云う二眼レフカメラで127サイズ(ベスト判)フィルムでも撮りはじめてみました。

このベビーローライ久しぶりのカメラ萌えじゃないですけど、かわいくてしょうがないです。でもたぶん、私は同じところを行ったり来たりしてるだけで、実際にはカメラとか技術が変わってるだけで、変われない、って云う感じはするんです。

あの手この手を使いながら、これからどうなって行くんでしょうか。わかりません。昨日言っていた事と今日言っている事が一寸違っていても、自分の中で些細なことをどれだけ盛りあげることができるか、正解なんてないですから。

Sunday, February 9, 2025

......Nishinari Community Center



日曜、雪がチラチラの昼過ぎ。近所の区民センターへ大好きなラッパーの恒例ライブ『元気です西成2025』に向かいました。相変わらず堂々と西成節をキープオン。

最近は晴れの日一万歩、雨の日五千歩の習慣が、いつの間にかリフティングとドローイング、時々撮影(現像)の日常にシフトしてループオン。

子供の頃、絵(落書き)やスポーツ(サッカー)、音楽(レコード)に普通に興味を持ち、そのあと何となく興味を持った写真の道に進んだわけですが、単純に写真を撮ることだけに自分のおおかたの満足が得られる道筋があったなら、もう少し気分的に通りのいい日常を送っていたのかもしれません。

だけど、いつしか自分の好奇心はそう簡単に写真だけを能天気に撮っているだけでは一寸満足のゆかない領域にも突入してしまったことも事実だと思います。

また以前は失敗だと思っていたものが保留の時間を経て、あらためて見返していくと、この失敗だと思っていた落書きやサッカー、レコード、フィルム、プリント、そのものが今のスイッチとなり、何かつくりたくなる原動力になっていると感じます。

Thursday, January 30, 2025

......Tamade Park

 



一月。公園でひとりサッカーもだいぶ慣れてきました。年末にアディダスのサッカーボール五号球(パキスタン製)を手に入れてからは、仕事終わり夕方から近所の公園に寄って、一時間一寸ボールを蹴っています。運動はお天気にも左右されますが、大体この一ヵ月間は週休二日をキープオン。

全くいい加減かつ往生際の悪い云い方をすれば、久々に本当何十年以上経った今、このサッカーのボールをひとり壁面に向かって蹴っていると時々「何を自分はココでしているんだろう?」と奇妙な感覚に陥ることもあります。

五十に手が届くおじさんになった今、大阪の片隅の公園の地面の出っぱりにつま先を引っかけて転びそうになりながら、「俺は上手くないんだからいっぱい蹴って、下手なんだからびっちり蹴っていれば……」 イメージだけのかつて日常だった過去と現在がガッと混じり合うような気分になってボールタッチ。

いつもどんな気分になろうと、ひとつのモノを見続けていると、いつしか視点のほこ先がこちらの思いを越した内側に向いていることもあり、奇妙な感情や行動が見え隠れする瞬間があります。そして過去と今の時間が様々な方向へ飛び散るような不思議を思います。

ただボールを蹴る、ボールに触るだけで楽しい、と云うこと。それだけなんですが、サッカーこれから上手くなりたいおじさんのつぶやきでした。

Sunday, January 5, 2025

......Minamitsumori Central Park



あけましておめでとうございます。年末年始は広島に帰省せず、ビールと日本酒を飲みながら、レコードをだらだら聴いたり、本を捲ったり、リフティングや壁パスしたり……。

そんなことをあれこれしながら、また「余白」でなく画き(貼り)こむだけ画き(貼り)こみ、画く(貼る)場所がなくなったら画いた(貼った)上からさらに画き(貼り)こんでいくドローイング(コラージュ)をやっていました。

ドローイングやコラージュをやることによって、重なり合う意味不明な線(形)を段々と自由に見れるようになって、写真も変化してきました。

その時々の関心で写真も変わるように、今はコラージュとドローイングに興味が移っているけど、今年はどうなるのか。その日、自分がなにを見ているか、予想もつかないところも写真の面白さだと思います。

新年の抱負なんてなかなか浮かばないけど、ふと二十年ぶりに思い立ってサッカーボール五号球を蹴ってみたら、泣きたくなる程下手くそなので、今年は今より少しは綺麗なリフティングを、壁に絶妙なパスを、蹴れるよう挑戦(練習)してみようと思います。そして、とりあえず一年無事に過ごせるといいなと。 はい。

Tuesday, December 31, 2024

......2024

 



火曜、大晦日。クリスマス以降は北浜のFOLK old book storeで開催されていたスーパーハイパースぺイシーのともさんCAPをプレゼントでもらい、その後は忘年会や飲み会とかはいっさいお誘いがありませんので、まあ暇、暇でもないんですが、のんびり年末を過ごしています。

ふと、一月から順番に今年の記憶をふり返ってみても、ざっくり云えばやや迷走気味で、健康状態は割と良く充電の年だったと前向きに考えることにします。最近は、無理せず怪我せず疲れを溜めず、手の届きそうにない欲求はあきらめ、静かに暮したいと、若い頃にはこんな平穏を望む人間になるとは思っていませんでした。

今、望むことは単純に普通に暮らしていくこと、自分ができる仕事を続けて生きていくこと、以外は望んでないです。あと好きな外国の路上に一寸行けて、歩いて撮れたらいいなと思うくらいで、いつもそんな気持ちには変わりありません。

結局それしかできないから、いつかどこかで偶々でも自分の作品を観てくれる人がいたら、なるべく好きに観てくれるように(メッセージはない)、本人の意図から離れれば離れるほど面白くなっていくように、同じようなことを淡々と積み重ねていきたいです。

2024年ありがとうございました。よいお年を。 

森川健人

Friday, December 13, 2024

......Nishinari-ku

 



気がつけば師走、今年もあと一寸です。四、五年くらい前に買ったストーブから異音が出るようになったので、家電量販店をハシゴしていろいろ見て回り、選ぶのに大分迷い、結局ネットに出ていたリーズナブルなのを買いました。

新しい濃いグレーのストーブは省エネタイプで今のところ快適です。この電気ストーブは「弱」から「強」の間に四段階のメモリがあり「弱」でもけっこう暖かいです。


いっぽう普段路上で被写体を選ぶ時は、すごく直感的に選んでいて、その被写体を見た、本当に見た瞬感に撮るか撮らないかをジャッジしていて、それは直感としか云えません。新しいアイデアは出そうと思っても中々出るものではないですし、自分で自分を枠付けして縛ってしまうところがあるので、息苦しく感じる時もあります。

今はアディダスかオールスターを履いてローライで撮っているけど、もしこれよりいい道具があれば、いつでもそちらを使いたいです。継続して活動していく中でいろいろ見つけてちょこちょこ変えて、一寸ずつマイナーチェンジしていくのが好いのかなと感じています。