先月、二週間ほど台湾に滞在した後”台湾”のフィルムをまだまだ一寸づつ現像しています。全く台湾らしい光景ではなくても、自分が歩いた台湾を思い浮かべ、その情景の匂いのようなものを、思い出しながら作業を進めています。なぜか新竹の竹東(ジュートン)の街が頻繁に頭の中にあります。
自分にとってフィルムと云う記録媒体は、無意識の領域を刺激するには適していると思います。短期間の外国へ行った後とか、意識している、していないにかかわらず、一気に自分の中に入り込んだ様々な情報で混乱してぼやけてしまった部分を徐々に落ち着かせる手段として、撮影済みフィルムを現像してデータにして見ていくと気持ちが楽になります。なので見たものを正確に写し撮ることでもありません。
そうして、本当の無意識は中々むつかしく出来なくても、無意味なら近づけるんじゃないかと思います。ついつい意味があることがいいんだと、当たり前のように思い込んで、だけど意味はなくても全然いいんじゃないかと。意味や価値をそぎ落とし、好き嫌いをなくしたところに、面白さはないか、面白くしたいです。