土曜、あたたかい日が続きます。午後、久々に鶴橋の御幸通(コリアタウン)へ。
人と会って話をしたり、今まで食べたことがないものを食べたり、レコード聴いてリフティングして、スポーツを観てそれなりに感銘を受けたり、そんなことが普通の日常に入り込んできます。だけどそれだけではどうにも埋まらない部分が自分の中にあり、そこに写真をすることが自分にとっては重なってくる、と云うのが一番いい得ているようです。
写真を撮ったり写真を切り貼りしていて、一番の快感はそんな日常で言葉や考えつくあらゆる方法では埋まらない、自分の感覚の断片がヒョンなことから写真の上に定着した瞬間です。そんな時は無意識のうちに色んな角度から目の前のカタチ(断片)を眺めています。自分の感覚や感情を写真にしようとする場合、そこには何か具体的なイメージはあらかじめなくて、全体的な写真の進め方はもうずっと主観的です。
よしんば、具体的なものを撮ろうと云う意志の上に写真がスタートした時も、そのイメージは一つの物差しにはなり得ますが、感覚や感情を表現すると云うことにおいては、やっぱり写真の最終形は最初から何もありません。
うまくいこうといくまいと頭で考えるあらゆる理屈を超えたところで、写真をしたいと云う衝動が今も自分の中にはまだ残っているか、を確認しているような感覚でもあり、この感情はいったい何なんでしょうか、、、