日曜朝十時半、梅田からJRバスで五時間半、広島駅に向かい駅中の花屋でお供え花を買ってチンチン電車に乗って比治山へ。
あれからあっと云う間に五年が経ち、気づけばお盆と命日のこの時期はいつも墓参り。気持ちも落ち着きスッキリします。翌朝、広島で撮影をして昼からかぐや姫号と呉線に乗り継ぎ田舎の小さな古い駅へ。そこから一寸歩いて誰も居なくなった小舎の空気の入れ替えに行く、も誰に頼まれた訳でもなく、好きで続いています。
同じく、つい最近のような昔。暗室で印画紙を焼くのに、中々いい感じになりませんでした。1997年か98年くらいから20年は続いてきたこう云う作業が実は向いてなかったのかと、遅ればせながら軽く病みました。それで少し前「よし、じゃあこれ、やめよう」と、最終的にはインクジェットにして、精神的にも(経済的にも)負担が少ない方法に変えてみました。
だけどインクジェットでプリントした写真は滑らかで表面的な感じがして、もっとゴツゴツした物質感が欲しくなります。撮影自体はずっと変わらずフィルムで、写真の撮り方も相変わらずファインダーをよく見て撮っているのではなく、出会った瞬間いきなりシャッターを1コマ何度も重ねて押すような撮り方です。スキャンするフィルムは暗室作業の際に水を通って、現像ミス的なものの上に乗っかる粒子とスレやキズや汚れ、水滴まで意識的に残すようになりました。
より物質的に写真に接触するよう、手垢のついた複数のフィルムは、幻影でなく具体的でリアルな実物感を強調することで、かえって抽象度が高まっていくような感じがしています。抽象と具象の逆転した見え方や、考え方に興味を持つようになりました。フィルムを使って記録したイメージとそれを妨げる要素としてのノイズは、一見具体的っぽくも抽象的な要素がある、こんな不思議なバランスがおもしろくて続いています。