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Wednesday, October 2, 2024

......Osaka


暑い暑いとぼやいているうちに、気がつけば十月、段々涼しくなってきました。水曜、夕方五時過ぎ靭本町の歯医者。一寸前、奥歯の詰め物が突然取れ、ずっと放っておいたら血流のリズムでズキズキと頭に激痛が走るので、教えてもらった靭公園前の歯医者に行きました。

ひとつのことが別の何かにつながっていく感じというか、現在暮らす町の界隈で、時々歩く旅のどこかでも、カメラを手に目を凝らせば、あらゆる場所にずっとそこに在るかのような「キズ」「サビ」「ヒビ」「カビ」「カケ」「ズレ」「ケズレ」「ヨゴレ」「ハガレ」「シミ」「ヘコミ」「アタリ」、、、放置された痕跡やボロい色の隙間に身体が反応して写真のスイッチが入ります。それら大半は誰にも気づかれることなく、どこかに隠されたり、無関心と時間の中に生じたエラーやロスやノイズとして世界から消えていきます。偶然、わたしはその瞬間、フィルムを使ってイメージを定着したいと衝動に駆られ、モチベーションになます。

理屈ではなく、いまコントロールしきれないまま、浮き上がってくる写真を自分ではどういう風になるか分らないまま、行き当たりばったりのプロセスの中で、関心が拡散してキリがありません。キリがないけど思い込んだ意識が壊れ変化していくことで、自分の中の縮こまって空回りしていた曲線が伸びてゆく感覚があります。

コントロールできないこととは、外部に在るものを受動的に取り込む行為や、見ていなかったものが写り込んだり、予期せぬことを積極的に呼び込み浮かび上がってくる写真の「現象(ゲンショウ)」のことについてです。深く考えずに、ただ遊んでいたら「オッ」と思うようなものができた、そういう感覚のことです。