歩行中や制作中、入浴中とか何らかのタイミングで無用なイメージが浮かぶこともあり、いつもスッと浮かんでポッと消え去ります。これが結構気になり、無用は承知の上、忘れた時(こと)のもどかしさはたまりません。フッと意味もなく湧いたイメージは大切ですが、だからといってどうあがいてもママならぬこともわかっています。作品はその内容やタイミングによって予想以上に早く出来上がることも偶にあっても、些細なほころびから妙な展開に陥り、ものすごく時間がかかってしまうことがあります。ある程度まで詰めたにもかかわらず、思わぬ事態から丸ごと消して流れてしまうこともあります。
撮影した写真(印画紙、印刷物)を切ったり、貼ったり、画いたり、剥がしたり、には確かに何の意味もなく、意味はなくても、その中でごく個人的に無意味だけど、何かしらの「作用」があることも感じます。これはわたし自身のこれまでの「記憶」にもどこか似たものがあると、最近はそんなことをよく思っています。淡々と写真を撮り、やぶり、重ねて貼り、、、そんな日々が過ぎていき、目的は特になくても、意味が優先の作品には自然と興味が薄れてきました。以前から、自分にとって写真を写すこと、つくることの明確な意味や目的とがピタリと重ならなくなってからは、考えることが重要になった気がします。