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Sunday, April 14, 2024

......Tamade,Nishinari-ku

 


日曜、良い天気。晴れの日は一万歩、雨の日は五千歩、 気のりしなくても外に出るとそれなりに歩けます。そして今、目の前に在るにもかかわらず、誰からも気づかれてない様に見える「表面」に、自然と身体が反応しています。多分、そこら辺に自分自身が考える理想的(?)な写真の在り方がくっついている、と思っています。

人がいらないとしたもの、本当はそっちの方に本質的な何かが在るんじゃないかと。誰かが意識的に捨てた部分に、自分が探しているものが実は在り続けたりする気がして、人がものを捨てる判断をした瞬間がおもしろいと思うんです。わたしは自分にとって都合が良い部分だけ「撮る」ことを続けてきて、都合が良い部分に何か意味が在るんじゃないかと、そんな風に考えてきましたが、実は違ったりする、とそう考えるようになりたいと思っていたら、いつの間にかそうなりました。

周囲の人も(自分も)、一見変わっていないように見えても、ゆっくり変化しつつ、変化しないものなんて無いようです。進化したり退化したり、体調や方法や組み合わせ、かかわる人で一寸ずつ絶えず変化していることを実感します。おそらく100の要素があったとしたら2つ、3つくらいが、日ごろ自分が見えてる程度で、100のうち5つ、6つくらい変化したとしても、変化として認識するのは難しいのかもしれません。本当は何となく変化していることに勘づいていても、なかなか言葉にすることが出来ません。たぶん、100のうち50くらい変わってきて、はじめて、「あっ変わったわ…」って認識することが出来るんじゃないでしょうか。時間の経過とともに、そんな心の動きが強く関係していると思います。人間、一寸先は何が起こるか分りません…