Translate

Saturday, May 11, 2024

......Kishinosato,Nishinari-ku


 

今晩、レコード棚に向かって立てかけた何枚かの未完成コラージュ(写真)の束の、その中の一枚を不意に引っ張り出して、バリッと表面がはがれる音、それを見た瞬間、これはイイと思いました。何がイイのか、そこに具体的な意味は全くありませんが、そういう瞬間がたまにやってきます。そん時の自分自身の状態、気分、タイミング、また何かしらの偶然が交叉した時に。

ともかく一度終わった…と思ったもの(作品?)が棚にもたれかけている間に経過した時間(保留)と共に何となくこちらの味方になってくれた感じがしました。そうして写真の断片と写真の上でまた何かが動き始め、再び切った貼ったがスタートします。「これはイイ」とふと思って、何がどうイイのかハッキリしないことが多いけど、たとえば自分が他の人の作品をふと見て何かイイと思う時にどこか似ています。これはすごく簡単なようでなかなか複雑な世界のようです。わたしに限って云えることは、イイと思う時、まず瞬間的にそう感じてしまうのであって、決して考えることによってそこに至るものではない気がします。

「イイ」と思うものは、どうも云うところの努力とか一生懸命とか責任感といったことの隙間をスルっと抜けた向こう側にあるようなものです。うまく言葉に云い表すことができないけど、一見適当で、無責任なものと、この「イイ」はどこか関係している気がしています。まず自分がイイ作品をつくる努力をしたところでそう簡単にできるものではないと、それはよくわかっているつもりです。いずれにせよイイと思うもの(作品)は何か意味不明の隙間があって、曖昧で不明瞭な部分を残し、いつも気まぐれに移ろいます。