もう11月。近ごろ路上を撮影していると時間の経過とともにディテールが頭に入り込んできます。次第にうまくいっている部分をずっと持続しようとする欲が増してきます。そうなるともう先には進めません。写真は情けない方向へどんどん進み出します。そう感じるとまた一旦放置となります。そして、ボツにしたプリントの「切れ端」同士のいくつかの白い部分を線で繋ぐことが浮かびます。一瞬「裏側」と重なり、うまくいきそうな間が訪れます。仕事部屋の押入れに「わからないまま」放置されている写真の束の放置する目的は単にリセットにあります。
何年か前のある日、写真の領域から出ることが出来ないわたしは、写真を破り捨てるような音が聞こえてくるイメージで、実際に自分の写真(プリント、写真集)を破って貼って四角い小さな数点が出来ました。なぜ「切り」「貼り」なのか分らないまま手応えだけがすこし残り、以後時折同じような作品が現れます。根拠のない手応えだけを道標に『端と裏』シリーズは弱々しく動き始めていきました。発端はいつも些細なことから静かに始まります。
必然性に突き当るには気の遠くなるような継続と時間を要するのでしょうか…他の人に理屈で詰め寄られどんな批判に晒されようと「よくわからないけど続いていってしまう…」とつくり続ける以外、切れ端と裏側を払拭する手立てはないのでしょうか。