今朝も起きると陽射しが既に強く、昼から近所の天王寺公園を適当に散歩していると、目の前に転がっている誰からも無視され、ずっとそこに在るかのようなモノや偶然近くを通った人(物体)に手首に巻いたRollei35が反応します。そんな瞬間にだけ、あの日に連れ戻された気になって、子どもの頃に過ごした街で焼きついた断片的なイメージと重ねてみたくなります。
なぜ撮るのか、貼るのか、写真をしたいのか、と尋ねられた時の言葉は多分「この」あたりだと考えるようになりました。何十年前の自分と今の自分、昨日の自分と今日の自分、様々な矛盾があるにせよ、今日撮った写真を見返すまでもなく、わたしは忘れてゆくもののことばかり撮っています。忘れ去ることと引き換えに何かを得ているのか、それはなかなか見つかりません…