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Saturday, May 13, 2023

......Shikaku-koen, Nishinari-ku



いつまで続くかわからないまま始めた、自分の写真(写真集等)を切ったり(破って)貼ったりするのをきっかけに、初めて「貼る」「撮る」という手法が同じ線上に並んだような気でいます。

それは街を歩いてて、つい今しがた体感した空間の印象とずっと前に遭遇した風景の記憶が交差したり、昨日めくった写真集の匂いやカサカサした手触り感と今朝聴いたレコードジャケットのサイズ感や質感みたいなテイストを全てミックスして、自分の中のなにかと反応したら、心の中で言葉で表現できないモヤモヤとした感情となって、溜まっていく気がします。そんな溜まったものを、別の形にして取り出してみたくなる感覚です。

ずっとあまり計画もしないで優柔不断に写真をしてきたおかげで、取りあえず歩いて、撮って切って貼ってみたいに、これからもそこで浮かび上がった(現れた)ものが失敗でも、その上から貼ったりはがしたり、また歩いたり、、、優柔不断的に繰り返していけたらと思います。どうせなら続いていったものは、最終的にいつか全て等価に繋げてみたい願望もあります。

それでどうなるわけでも、だからどうしたというわけでも、もちろん誰かのためでもない、単にそういった理解不可能な衝動が内側から突き上げてくること、それが自分にとってなにより大切なことです。昨日単純につくりたいと思った気持ちが、これから先二度とやってこないかもしれないし、今日自分の中で起きるかどうか、明日明後日も続いていくかどうか、そこに尽きます。