ある日のいつもの散歩から淡々とはじまっていくのか。
「オオサカにいると落ち着くんですよ」みたいな感覚は、ない。「ニシナリ、俺に凄く合ってるな」って思ったことも、ない。 私自身、地元を離れ”ここ”の日常で生活していて、人とつき合い、物と接していて、すっかり慣れて暮らしていても、割り切れない矛盾やよそ者感みたいなものを常に感じて、それにもすっかり慣れて生きている。
この場所でしか写せない写真はなんなのか。そこにいかないと見えない違和感、特別な場所にいかなくても普段目にする懐かしさでなんとかなる流れ。どこでもいいんじゃなくて、どこもいいのか?自問して自答する。
そんな空想のなか歩いていると、また80年代頃の広島・流川で見たアスファルト路面がドロッと溶け出す今は無き光景が浮かぶ。 フラフラ撮影を繰り返していくことは、自分にとって写真を考える一番分かり易い方法。複雑に考えて待ってたら消えてしまう。