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Wednesday, July 8, 2026

......From my room,Nishinari


 

このところも撮影した写真、関連した素材の切り貼り作業(コラージュ)の毎日が続いています。これまではダメだったら使わなくていい、撮らないとなにも始まらない、が撮影のモットーだったように、ダメだったら剥がせばいい、剥がした後の感じは貼らないと生まれない、に置き替えループオン状態。

只今現在、長年探し続けていることへの手がかりを一寸つかんだような、またそれがリアルに断片として目の前に現れた時のワクワク感は他に変えがたいものです。しかしこれはどんな分野でも同じでしょうが、そんな状態は長くは続かないことです。知らず知らずのうちに他と比較し検証がスタート。徐々に自分のやっていることを色んな角度から考えはじめ、そうこうするうちに、はじめのワクワク要素が消去法で徐々に消えていきます。

始めの頃のイメージを無理やり持続させようとすれば、次第に自分の行為、プロセスに整合性を取ろうとして、コンセプトやテーマを求めはじめます。いつのまにか面白がることよりコンセプトやテーマを優先しはじめ、たいていの場合"ここ"ら辺から失速の方向へ向かいます。本来なら"ここ"からが職人やプロフェッショナルな仕事の始まりなのでしょうが、中途半端という言葉がピッタリなわたしは、いつのまにか辻褄合わせにすり替えたことでやる気が失せてきます。

だから自分でも「わからない」部分がいつまでも重要です。バリエーションを安定させないように、できるだけプロセスに負荷をかけ、得意の思い込みと意図は曖昧に、延命作業を必死にしている感じ。 二十代初め、いつまで続くか「わからない」ままスタートした写真をきっかけに、二十何年経って「撮る」ことと「貼る」ことが、今なんとなく似た感覚の中に入り出したことを、必然的に身体が覚えはじめている気がします。