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Sunday, February 4, 2024

......Takehara, Hiroshima

 


先週、竹原市の吉名駅に広島駅からでなく三原駅経由で行きました。大阪から広島に寄らず竹原に向かうのなら新幹線で三原まで行ってそのまま乗り継ぎ、電車にゆられながら行く方が早いことをはじめて知りました。こうした地理感覚の混乱みたいなことは、府内の移動にもよくあります。思いこみというのは気づきにくいものだなあ…と。

ふだんなるべく身軽で気軽に生きたいという欲求が強くても、時々向かってしまう、なんとも思い入れのある(ような)場所があります。そこには白い小舎とグレーのプレハブと錆びたビニールハウスが在ります。2006年秋東京から住民票を移して2008年まで3年間をひとりで暮した思い出の地で、その後も大阪に越すまでは毎週木曜に広島市内から車で通っていました。

そこのプレハブとビニールハウスでの、間に合わせ仕事、やっつけ仕事、在るものでつくった「かくかくしかじか」を、そろそろ20年近く経つので発掘するような気分で、ついでに頭の中も整理してきました。こっちに何かを主張してきたり、想像力をかき立てるものではないけど、ただそこに在り続けた「カタチ」が繰り返し“今”の制作衝動を刺激してきます。

なんだか沢山の線が折り重なって騒然としている「ラクガキ」、無愛想に見える「カタマリ」、ほったらかしの光景に、否でも応でも自分自身がこの20年で変わってきたことと変わらない(変われない)未熟さも同時に実感させられます。そして今も昔もやっぱりPICTURE、これからも出来るだけ頭を空っぽにして続いていきたいところです。