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Wednesday, August 30, 2023

......Ura-nanba,Osaka

 


八月下旬、猛暑日が続きます。例年以上に湿度が高いようにも感じます。路上の撮影を続けていると風通しのいい道とそうでない道があることに気づきます。それと、日々デジカメやスマホの性能が上がり、街で手軽に上手な写真が撮り放題の世の中になっていることも実感します。わたしは心の平穏を保つためにも、操作が面倒くさくて手間がかかる古いフィルムカメラを使って、今も写真を撮っています。全て手動式は心が安らぎます。この安らぎはデジカメでは得られません。

一寸重くて一枚撮るにも時間とお金がかかりそうな中判カメラ『マキナ67』と併用して、何年か前から小型の35mm『ローライ35』を使っています。このカメラ慣れてくると滅茶苦茶早く撮れます。最近のデジカメよりもしかすると早いと思います。コンパクトなボディにギュッと詰ったブラックペイント(黒い鉄の塊)を手首に巻いて室を一歩出ると、たちまち40mm(レンズ)の画を頭に浮かべながら歩きます。なのでパッとポイントを見つけた瞬間には、もう構図は決まっています。大体この距離に立ってシャッターを押せば、あぁなると直感的に分かってきます。

露出も今日の天気であらかじめ基本は合わせておきます。あとはその都度、影を見ながら角度を微調整するだけ...構図と露出が決まれば、ピントですがこのローライ目測式で眼でピント合わせられないので「カン」でよいのです。ファインダーも凄く小さくてよく見るとかそう云うのではないので、一寸先の空間にピントの層(実際裸眼では見えない)が在ると見立て、距離で合わせます。フレームに面積として入ってくる物体(部分)がハマればピントは獲得できます。被写界深度も日中そこそこ明るければfの5.6とか8で。そんな作業や用意をしながら歩いているわけですから、パッと反応した瞬間には、押すだけです。

ところが今のデジカメやスマホは露出、ピント共に優秀なカメラ任せで、操作も凄く便利でレンズも滅茶苦茶クリアです。しかし自分の意図したのとは流石に違い過ぎる雰囲気に、上手く撮れ過ぎてなんか違うぞと、そんな写真が出てきたら、カメラ側に責任があると腹がたってきます。しかし手動式のフィルムカメラだと全て自分が決めた露出や距離なので下手でもなんでもカメラのせいにすることなく、自分のせいにして潔くあきらめられるのです。

こんな風に、街で通りすがりの一枚スタイル(撮って去る)は、前もって準備することで、写真の訓練がなされるわけです。そうは云ってもわたしの場合、極度の機械音痴で高確率で操作を失敗したり、不便なカメラだけに工夫もします。どうしようもない部分も含めて、足を使って、寄ったり引いたりしゃがんだり、被写体との距離、角度を気にしながら、瞬間的(自然)に頭と体も鍛えてくれます。こんな古くて扱いにくい不自由な写真を今も魅力的だと思っています。