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Tuesday, January 4, 2022

......Nishinari,Osaka



年末年始は帰省せず。 買い出しに難波のデパ地下に行ったら人があふれていたので、諦め近所のスーパーへ。多くの人が集まる時間や場所をすぐズラそうとします。極力、他人といっしょに行動しない、そういう生活習慣がしみついています。

この正月は韓国焼酎やマッコリを飲みながら、レコードを聴いたり、いろいろな写真家の写真集を眺めたりと、だらだらテレビ中継を見ていると、ふと子供のころ夢中だったサッカーを想いました。

たしか四、五歳の頃だったと思います。家で落書きしたり図鑑を見たり、ひとり遊びばかりするわたしを母は見かねて(?)、近所に在ったYMCAのサッカー教室に連れていかれ、渋々通い始めたら、何故かのめり込んで勉強もせず(出来ず)それから夢中になっていました。

それから約十年…中学三年の冬には読売ランドの読売クラブ(現ヴェルディ)と巣鴨駅近くの三菱養和と、二つのクラブチームのセレクションを受けにいきました。結果は読売不合格、三菱養和パス。運動神経も根性もないくせに勘違いして、十六歳(高校一年)プロ選手めざして?上京したけど、全くものになりませんでした。

幼稚園から高校三年まで、ずっと右ウイング(FW)左足と守備がダメだったけど、空いたスぺースを見つけて走るのが好きでした。蹴られたボールに向かってタッチライン沿いを「かけっこ」したり、相手を引き出して逆をとったり、どうやったら早く前を向いて仕掛けれるか、逃げるように(相手を)ズラして、スぺースを使う動きをするか、相手との距離、味方との距離、距離感、間合いが大事だ、なんて、理想の話で…。

実際は、トラップ寸前でたびたびパスカットされ、しょっ中トラップミスして怒られ、オフサイドにも引っかかる、散々な感触、実は団体競技(行動)凄く苦手で、やるせない、そんな少年の頃の話しを、今夢中で想い返している自分が何か怖い気がしてきました…以上。