コロナ禍が始まって3度目の夏、主に大阪の特に西成界隈をフラフラしています。
フラフラ適当にしていたとしても、事実はどうであれ、カメラマンには「自分が写したものしか語ることができない」と云う、基本的な設定があるのか…原則があるようです。
わたしは何かを変えたくて、フラフラ撮影し、紙に刷って、重ねて貼る、を繰り返していると、確実に違うものが見えてきます。