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Saturday, February 28, 2026

......Kyoto




先月から一週間おきくらいのペースで京都に行き、いろいろ歩いています。観光地でない静かな日常を感じられる場所の種類がたくさんあることを知ります。まだ区別がつきにくいですが、京都の生活空間を見ています。昨晩、そんな話をしていたら「おじいさんみたい」といわれました。

土曜日、昼。京都を散歩、いつも通り早足で。自分が何を見たか、正直コレを見ているというフレームワークはどうでも良くて、何を写したかが問題ではありません。ファインダーは瞬間的に覗くときはあっても、殆どノーファインダーで気配みたいなものを感じたらシャッターを切ります。何かを撮ろうとすると、同時に何か違うことをしたいと思えてきます。フレームの中で自己完結したくなくて、後々いろいろ解釈できるように。見る側の印象がバラバラに広がっていけるように、できるだけ中心が自分ではなく被写体なのかカメラなのか、とにかく自分じゃない感じにしたいという思いがあります。

構図フレーミングはブレて曲がったり、ピントが合っていなくても無視します。取りあえず何度もシャッターを切ってフィルム上で上書きする感覚。わざとでも適当にしたくて、それをいつも真面目に心がけています。撮影は機械が行うことで、勝手に撮ってくれるので(カメラ都合で)、出来上がった写真は見たはずのものとはことなります。思い通りにいかない点が面白く、考えるのは暗室、セレクションの時に後回しにしているから、数(量)は大事になってきました。

ひとつのつくり方だけじゃなく、いろいろつくり方を呼びおこさせる写真を、何がいいたいかでなく、カタチと質感にこだわりたいです。あとリズムがいいに越したことはないです。前提として写真のリズムも、始まりの場所ではなくて切れ目、切れる場所。四角いフレームに写った色や線がリズムになるわけではなく、写真の持つ流れ(過程)を経て、その利点を活かせるよう切っています。そして最後まで残った場所がディテールになるイメージで、写真は撮るより見る方がたのしいので。